けいぞくしたい

継続したい。

実印はきちんとした朱肉とセットで買いましょう

タイトルは、
印鑑ケースのスタンプインクでいいか
などと思った自分への言葉でもあります。
実印にするようなハンコは
字体も凝っていて大きめの物にすることが
多いのではないかと思いますが、
そういうハンコはきちんとした朱肉でないと
全然まともに押せません。
実印の使用はそうそうあるものではないので
知らないこともありましたという体験談というか。

 

それとは別に。

男の人は裏切るしもういいです、
というようなことをおっしゃる熟年の女性は
どういう感覚なんだろうと最近まで思っていたが
少なくとも一端は理解できてきた。

人によって当然違うがそこで言う裏切りは、
必ずしも浮気などを意味しない場合もあることも。

女性しかとまで言わなくても
主にそういうことをおっしゃるのは女性で、
男性は熟年でもそういう言い方を
ほぼ聞いた覚えがないのには意味があるとも思う。

男はこうだから女はこうだから、
という言い方は元より好きでないですし、
男性脳女性脳という論もほぼ信用していないので
(身体構造が性別によって違うので
人体を構成するものとしての脳も
そういう意味での性別による差異がある可能性は否定しませんが、
日常レベルの思考においては性別による脳の差異よりは、
個人差とそこに至るまでの環境等の影響のほうが
大きいと考えた方が自然な気がしています)
男性が元々そういう生き物というより、
男の子なんだからそのくらいはねーと、
無神経で気遣いをしなくても
許される育てられ方をされがちであったり、
社会の扱いをされるからそうなるんだろうとしか思えない。

男性が全てそうとはもちろん言わないし
そういう男性に苦しめられるような思いをしてきた
男性もたくさんいるだろうことも含めて
書き残しておきます。

男性女性の枠だけでない立場であろうとする方もいて、
それがいわゆる障害と呼ばれることもある理由からのかたもいるでしょうし、
それらとはまた別の理由からというかたもきっといて、
人によって様々でしょうから
男女性差だけで物を語りたいなんてことは絶対にないです。
むしろそういう考え方にずっと違和感がありました。
ずっとです。
少女漫画で育っているからというのも大きいと自分では思っています。
(昔の少女漫画は特に今で言うジェンダーレスも
自然に多い感じだったと思います)
あとは普段の生活のなかで自分自身も女子だからこう、
という風に言われるのは違和感があって
もっと個々の人間性によって言われるべきだとは
常々感じていたと思います。

世の中が少しずつであって
また形だけの部分も多いけれど、
少なくとも
性差を強調して誰にでも当てはめるだけの価値観が
正義として絶対的に語られるというような時代では
なくなってきたとは思えるので、
やはり違和感のあることは間違っていたわけではない
と、生きて来た時間の分があるからこそ感じています。

そのうえで、
男の人はこうして育てられるから
他人に対してもこういう考え方や扱いでいいと
思っているんだろうなと感じさせられる体験も
今だからこそあるので、そういうことを書き留めておきたい
と思いました。

横暴で無神経な考え方の女性も勿論いますし、
女性だけが男性の無神経な考え方に傷つけられている
というような話をしたいわけではけしてないです。

ただここで書き留めておきたかったのは、
男性が今でも男の子だから細かいことは気にしなくていい
というように育てられる場合も多いからこそ、
大人になるまでの間に男性のほうが女性よりも
無神経で相手の気持ちを考える努力をしないでも
許されるという側面が生じやすくなっているのではないか、
相手の気持ちを考えるというよりも察することを
強く様々な場面で求められる育ち方を(勿論人によりますが)
少なくとも今の日本で女性はしていると正直思いますが、
男性のほうが女性より様々な場面で察するどころか
相手の気持ちを考える習慣もなくても許されがちな社会通念だとかが
現在でもまだまかり通っていると感じるというはなしです。

それによる結果がより顕著になってしまうのは
配偶者だとかパートナーとの間の関係になることが
どうしても多くなるので、
自分もそれを書き留めておきたいと思いました。
なぜこうなるのかということを考え続けているし
これからも考えるだろうと今は感じているので。

 

ここでのテキストは改稿することがしばしばあります。
大抵は勢いで書いていて明らかに文章がおかしいことが
それはそれはあるので。

他の、全然自分の実人生と関係ないような
映画や音楽やアイドルのことなども書きたいのですが
今回はここまでにしておきます。

 

 

シヤチハタ 朱肉 エコス MG-30EC 30号

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コクヨ 捺印マット 携帯用 IP-900N

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シヤチハタ 印マット付き朱肉 シクオス ターコイズブルー
 

 

似た曲というかがあるのは知ってるんですよ

 

GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA

GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA

 

 

山下達郎で一番好きな曲は
知ってる限りでは間違いなく
「あまく危険な香り」なんです。
迷いもなく。

これもう自分自身の年齢もそんなに隠すというか
ぼかす体力気力もそこまで充実してないので
他の記事ではほぼ書いてるんですけど、
昭和生まれなので
ドラマの主題歌だったのを覚えてるんですよ。
こどもだったけど。明確にこどもだったけど。
でも大人っぽさにとても憧れました。
内容はほぼ記憶にないけれど
ドラマの雰囲気とこの曲が合っていて
とにかく大人っぽさに憧れました。

甘く危険な香り、て。
歌詞の大人っぽさ。余韻のある歌唱と楽曲。

あの頃はまだまだ「ドラマのTBS」の時代でもあり
TBSドラマには特別感を感じていました。
小学生なのでえらくこどもなんですけど
テレビが好きだったんでしょうし
これとは別に山田太一ドラマを見て
脚本家って凄いんだなと思った記憶があります。
人間観察が行き渡っているというか。
こどもなのでそういう表現で明確には思ってませんが。

自分で言ったら何だかわからん言葉になりますが、
今大人になった自分の目から見ると
あまりにもろくでもない生育環境でしたので、
孤独な小学生だったんでしょう。
本人としては当然まったくもって
簡単に片づけて言えることでもないんですが
まあここではそこは置いておくとして。

そんな
あまく危険な香り。
洋楽に下敷きにしたのではないかというような
似た曲があるとかいうのは
知識としては小耳にはさむくらいはしてるんですけど、
というかその曲はその曲でそうは思わずに知っていましたが、
そんなこと言われても
邦楽(意地でもJ-POPという言葉を割と使いたくない)とは、
山下達郎とは、
まで遡って考えてみてほしいという話でもありますし。

あまく危険な香り、ですよ。
タイトルが。
歌詞も味わってみてくださいよつう。
しかもその譜割なの、っていう。サビの。
あなた(上がる⤴)にぃ、取り戻す日々はもう、ない
って。
名曲でいいじゃないですか。
名曲です。
この曲のほかに個人的には特に
山下達郎に思うところは正直ないのですが。
ラジオは以前聴いてました。
歌声と話す時の声が全然違って驚きました。

というか、ネットが無いときはね、
ラジオ聴くしかなかったのよ、
多少はつっこんだ音楽情報得たい気持ちがあったら
ラジオ聴くんだよそういう時代あったんだよ、とも
書き残しておきたい。記録しておきたい。
FMラジオ聴くんだよもうほんとにもう。


それはそれとして別のはなしというかで
最近、色々経緯がありつつも
ジャニーズ観測が止まらない感じで
現ジャニーズしかも主にジュニアのほうの人たちを
めちゃくちゃ見てたので短い間に以前よりは知識を得ました。

それも書き留めておきたいのですが
長くなりすぎてしまうので、また。

山下達郎もジャニーズへの楽曲提供は複数に渡りますし
多少は記事にも関係なくもない締めくらいに。
ついでに山下達郎のラジオ番組を聴いていて
ハイティーン・ブギ
山下達郎作曲であることを知りました。
曲は知っていてもその事実を認識していなかったので
えらく驚きました。



 

 

実印

実印を作らないといけなくて
調べると、
・未婚女性は名前だけで作ればいい
・既婚なら姓が変わらないだろうからフルネーム、名前のみ、姓のみの
どれでも好きなようにすればいい
というようなことが書いてあるんですけど。

 

既婚なら姓が変わらないだろうから、って
さすがに離婚したら姓がまた変わるかもしれないから
やっぱり名前だけにしておけば無難だよとは書けないよな
と思いました。

 

そんな感じで
自分にも色々ありすぎて、
親のものだった姓には戻したくないけど
配偶者も許せないのでそちらの姓も名乗りたくない場合、
相当嫌な感じだよなと思っているところです。

 

実印は名前だけにしておこうかなと思ったりしてはいます。

 

あーめんどくさいです。

 

とにかく進めないといけない手続きとかそれなりにあるし
でもそれに取り掛かるには
色々思い出さずにいられないというか
別に忘れてないですけど、
とにかく自分の人生が踏みにじられ過ぎてて
そういうのをつい辿らずにいられないと思うと
逃避したくなります。


それでアイドル動画を見始めたら止まらないので
くるってるとは思います。
完全に逃避ではあります。
ほんとにくるったように動画を見るのを止められないので
自分でもかなり疲れるんですけど。

 

あと全然全然言いたくないけど
ずっと恐れをなしていた更年期が実際やって来た気がとてもしていて、
ここらもこれまでの経緯を考えるとまた
踏みにじられた屈辱だけの日々を思わずにいられないので
たまらないですが
まあそのへんもいつか書き留めるかもしれないです。

そんな感じの覚え書き。

 

 

 

 

夏に聴きたいこの温度のあるひんやり感と個人的には思っています

今週のお題「わたしの好きな歌」


The Best of Al Green - Greatest Hits (Full Album Stream) [30 Minutes]

 

あ、アル・グリーンさいこう。
超クールじゃね。

まったく詳しくないけど今日おそらく何かのきっかけで思い出しました。

ジャケットらしき写真は
これだけで今見ると正直あんまりついてゆけないですが
アル・グリーンマーヴィン・ゲイなどは
素晴らしい歌唱だけでなく
ご本人の魅力やせくしーさも人気の存在だったようなので。

そしてそれがどうこうというのでなく
また、
他者の人生に実際に起きたことを
まるでフィクションと同列のように
無責任に語るというのはやらないようにしたいとは
いつも肝に銘じておきたいと思っているところなのですが、
アル・グリーンマーヴィン・ゲイ自身の魅力やなにかが
この方たちの運命にどういうものを
もたらしたかもあまりに有名なところですし、

自分あたりは世代というか年代的にも
後追いどころじゃない感じで、
音楽史に燦然と残る偉大なシンガーの名前と
素晴らしい楽曲と歌唱と共に
それらの正直衝撃的な事件を
全て同時に歴史と共に知るような具合であったので

アル・グリーンはご存命で
マーヴィン・ゲイはご存命でないという違いは大きいですが
どちらも偉大な名前とクールな歌唱と
衝撃的な実際に起きた事件を
同時に知った驚きは大きいところはあります。

それはそれとしてというか
他人が無責任なこと言ったらほんとによくないけど
これだけ魅力的な歌唱で存在感じゃ
何か周囲で巻き起こってしまうくらいの
大きい力が宿ってしまうんだろうなあなどとも。

 

あと繰り返すようですが実際生きていた人の生涯に
無責任なことを言うのはとてもよくないと本当に思うのですが、
どうやっても自分にとって害にしかならない親もいるから
そう思ったら切り捨てないといけないんだなと。
わたしの親にあたる生物だったものは
↓こんな感じでもういないですが

虐待親が死んだという話をメモ - けいぞくしたい

もっとずっと早く切り捨てられたらよかったのにとは
多分ずっとずっと思うだろうことなので。
ましてやマーヴィン・ゲイのような人の命が失われるなんて。
自分はころされなかっただけよかったのかとすら。

 


I Heard It Through the Grapevine
FMラジオから流れて来たかなんかで知って
とてもいい曲だと思ったというとても凡庸な
しかし名曲なので仕方ない感じの
世界中にありそうな思い出。

日本のバンド、グレイプバインの由来になった曲ですが
グレイプバインは好きな曲もあるのですが
どうしてこれが由来だったんだろうなー響きなのかなー
とぼんやり疑問に思ってたような気はします。

 


Marvin Gaye - Sexual Healing (Video)

あとセクシャルヒーリングのビデオがまだちょっと
ていうか大分きつい。
映像は見ないで音だけ聴こう。むしろ直視できない。
なぜ音楽史に残る偉大なシンガーに
カラオケビデオのごとくの小芝居させたんですか。
30年以上経っているはずなのにまだつらいということは
さらにもう10年くらい経ったら何周か回って
レトロな雰囲気出てきてよく見えたりするんだろうか。
マーヴィン・ゲイの歌唱はスタンダードの価値があっても
ビデオ映像は時代に左右されるのでまだつらい。
あとこの曲は
マーヴィン・ゲイ以外の人が歌ったら価値がかなり薄れそう
なのでカバー向けじゃなさすぎないかと改めて思ったり。


さらにスライ&ザ・ファミリー・ストーンが一時期とても好きで
ずっとCDを聴いていた時があったのも思い出したのですが
別に忘れてないんですけどまあそんな感じで


Sly & The Family Stone - Runnin' Away (Audio)

他にも好きな曲はあったけれどこれがたぶん一番好きだったです。
この終わりのフェイドアウトもまたとても好きでした。

 


Sly & The Family Stone - Stand! (Audio)

はあでもこの名アルバムのタイトル曲も改めて聴くとクール。
冒頭からなんてクール。

 


Sly & The Family Stone - If You Want Me To Stay (Audio)
スライ&ザ・ファミリー・ストーンの代表作としてのアルバムが
スタンドと暴動なことに異論は自分にもないのですが
この曲のこの雰囲気もたまらないです。

 

アル・グリーンと比べて聴いたりすると
スライは(スライとか呼んでみたかった感)
大分ロック寄りというかなんだなとも今更思いましたが、
言葉にすると恥ずかしいのですが当時も今も洋楽ロックは好きなので
聴きやすい入りやすいというところがあったんだろうなと
今になると振り返ります。

 

 

ソウルとは?ファンク?とは?みたいな感じで
ジャンルにこだわった聴き方をできないので
よく分かってないですけど、
ついでに当時の文化や
これらの音楽が出来た背景などに対する敬意は持つべきでしょうが
時代への憧れ等からこれらの音楽を好きという感覚は
個人的には今も昔もとくにないので、
曲とか音楽単体で好きなんだろうなと
自分では思っています。


温度はあるけどクールな雰囲気に思えて
すごく陳腐な表現になってるとは自分でも思っていますが
そんな感じで夏に聴きたいこの曲みたいな。
語彙力無い感じだけど。
はあクール。

平成最後に

年齢でいちいち判断されるのは
あまりうれしくもないし面倒かなあと思うので
年齢はぼかしておきたいものではあるのですが、
ぼかすのも結構めんどくさくもあるので
この日に書いておきますが

 

自分は団塊ジュニア世代に属するものでした。
団塊ジュニアとはもう少し広い世代かと思えば
よく調べてみれば結構限定されている年代でした。
こんな短いあいだに生まれなければならなかったなど
大変な呪いです。

団塊ジュニア以外の世代に属するかたは
団塊ジュニアに関するWikipediaでも読んでくだされば
と思いますが
こう言ったら何ですが多分理解はしづらいとも
感じます。

 

棄民世代とも呼ぶとはなかなかな言われようですが
大変納得できる部分もあって最悪です。

昭和でも
平成でも
その世代ゆえに過ごさなければならなかった
全ての体験が呪いのようです。
子どもが多い、若者が多い、とされている世代の
扱われようの粗末さを、
そういった世代にあたらない方々も
ほんの少しだけでも
想像してくださればと思います。


戦争があって高度経済成長期があって、
その少し後くらいに育たなければならなかった
団塊ジュニア世代にあたるものとして、
自分の味わってきたすべての呪いのようにしか
思い返すことができない体験を
大人になって考えるほどに、
戦争が悪いとしか思えません。
そうでなくても戦争は絶対に「悪」である
といつでも絶対に考えていますが、
高度経済成長期の少し後に
団塊ジュニアが育った体験もやはり
歴史を不勉強なりに考えてゆくほどに
戦争が悪いとしか思えません。

なので、だからこそ、
戦争がないまま終わった平成を
素晴らしいと心から思います。

 

思想の右も左も個人的にないですし、
天皇家をゴシップ扱いして語ることを好む層と
いうのはいつでもいると感じますが
自分は何も偉くもないものの
そういう見方は趣味が悪いので
したくないとしか感じません。
また天皇制の是非もあるのだろうとは感じますが
それに対する確たる考えが自分にあるでもないです。


そんな自分でも、
声を震わせて感慨をもって
戦争がないまま御代を終えようとしていることを
感謝と共に語っていた天皇陛下の姿には、
感じるものがございました。

 

そして戦争という形を
国として一度もとらないまま終えた元号
絶対に誇ってよいものであるし
湾岸戦争や平和維持活動と共に思い返し
考えてゆかなければいけないと考えつつも、
国として戦争という形を選択しなかった
平成はとにかくことそのことに関して
絶対によいものであったと振り返ります。

昭和に戦争があり
高度経済成長期があり
そのあとに育っていかなければならなかった
団塊ジュニアだからこそ
そう思って振り返ります。


もっと整理して書かないといけないでしょうが
今はとりあえずこれを書き残します。

 

 

pakirapakira.hatenablog.jp

 

ほぼ人生初めてのペットだった文鳥を失って
ままなっていません。

命を失った文鳥が一番つらかっただろうけれど

いわゆるペットを失った際の飼い主の喪失感は
飼い始める以前からも
そして飼い始めてからも
ずっとずっと怯えていたものだったけれど。
実際まったくどうにもならない。

どうして失ったかについて書くと
「厳しいことを言うようですが」と言って
自分の優位性かなにかを示したい方が
出てきそうで少なくともまだここには書けない。

この辺境まで探し出すこともそうないでしょうし
ほぼ誰に見られるブログでもないですが、
公開している以上それも考えには入れておきたい
というところも常にあるので。
勝手に予防線を張って考えているだけにしても。

動物のことに限らずなんにせよ
自己反省の弁を述べている相手に、
自分が偉いことだけを示すかのように
持論というか大体は一般論を
正義のようにかぶせてくる人のことを見るたびに今では、
厳しいことを言うようですが屋さんかなにか、
と頭の中で呼ばせてもらっています。

このことについては考えるところも大分ありますが
ここで上手くまとめられそうにないし
話が逸れてしまうだけなので置くとしても。

放鳥中の事故に類するものと認識していますが、

小鳥を飼う方のしばしば聞く事故例として
床などに小鳥がいるのに気づかず自分(飼い主)が、
というあまりにも痛ましいケースがあり
それもけしてないようにと恐れていましたが、

こういうことがあると想像もしない形で
失うことになりました。

本当に愛らしい存在でした。
その小さなからだのなかに
命が確かにそこにあることに
新鮮な感動を更新していくようでした。

文鳥が亡くなった日に
動物病院で紹介された
動物専門の霊園もありましたし
それも含めて自分でも調べ、
幾つかに電話をして検討して
決めたところに
なきがらを連れてゆきました。

そのはなしはまた書けるときに書くかもしれません。
少しずつ整理するために書き留めています。
文鳥のことに限らず文章で書くことで
整理してゆきたいためのブログですが
こんなことは書かないで済ませたかったです。
いつか失うことがほぼ定められた存在としても
もっと長く生かしてあげられなかったことを
悔やみきれませんし
そうでなければいけないので忘れず考えて
その考えを整理するために
またここにも文章にもしていくかもしれません。

まだ何も整理できず
日々その不在を思い知らされています。

文鳥はとても素晴らしい動物で

飼い始めて一年一か月を越えたあたりの
文鳥を亡くしました。
昨日2019年2月4日のことです。

桜文鳥でした。
胸のあたりは
桜文鳥の桜の名の由来を思わせる
薄いもやのかかったような
白とグレーとセピアが混ざって
模様を作っているような柄になっていました。
頬にも白の中によく見ると少し
薄くセピアの小さな点のような部分が
いくつか混じっていて、
尾羽は墨を流したようなというほかない
深みのある色の黒でした。

子どものころ
ペットを飼えるような育ちをしていない自分にとっては
生まれて初めてのペットと呼べるような存在でした。

どの子にも
うちに来るよりいい生涯があるだろうから
自分が命を預かったりしてよいのかと
何年も何年も考えて、
それでもどうしても文鳥と過ごしてみたくて
決心してペットショップに何度か下見に行ったりして
連れてきた文鳥でした。

連れてきたときは毛は生えていましたが
まだ雛で自分だけで餌を食べることはできず
最初の二週間ほどは
雛用の餌を作り専用の器具を使って
私の手で与えていました。

飼い始めてからは
やはり来てもらってよかったと日々思うことばかりで、
毎日毎日愛らしい様子や、
生えかわって桜文鳥の色が出てきてからは
天然の羽や毛並みの美しさにも、
いつもいつも新たな感嘆のようなものを覚えて

この子がいなくなったらどうしようと
ほぼ常に思っていましたが
それでも文鳥の平均寿命を考えて
それはまだ先のことだと思っていたのに

それがずっとずっとずっと早く来てしまい。


家にいる時にもう動かなくなっていて、
昼休みに入ったころの時間外でしたが
調べて電話で複数問い合わせたら
連れてくるよう言ってくれた近所の獣医さんに、
他に手段もないので徒歩で
文鳥を包みケースに入れてカイロをあてて
連れて行きました。

でもただ確認のためだけに行くことにしか
ならないだろうとは思わざるを得ない状態だったので、
ケースの入った袋を両手でかかえて、
文鳥への謝罪の言葉を繰り返しながら、
日頃からの体力と鍛錬のなさゆえに鈍重な足を
それでもなんとか自分なりには早く動かして、
転がるようにとでもいった様で向かいました。

電話を受けて待っていてくださったお医者さんは
初診だったので問診票を書くよう言われ
書きながら文鳥をまず先に診てくださらないかな
でももう確認だけだとお医者さんには分かっている
状態だからなのだろうなと絶望を頭の中で何度も確認して
問診票を書き終えお渡しして、
お医者さんがじゃあ診てみましょうかと
聴診器を当てて
心臓が止まっていて死後硬直も始まっていますね
と教えてくださいました。

見ている時に動かなくなって
それから慌てて行動しているはずなので
まだそれから一時間ほども経っていないかと思うのに
そんなにも早く死後硬直が始まってしまうのかと、
それもこんなに小さな体ゆえなのだろうかと、
思われてまたやるせなくもなりました。

もっともっと長く生かしてやれなかったことが
文鳥に対してとても申し訳ないですし、
小動物という生き物の弱さというかを
もっともっと深く熟知までしてあげていればと
思わずにはいられないです。
そしてあの愛らしいことこの上ない生き物が
もうこの世にいない生きていない事実を
とても信じられないです。

帰宅したり部屋の扉を開けるたびに
聞こえるあの鳴き声を、
いつも扉を開けようとするたびに
一瞬身構え待ちかまえる癖がついていたので、
なきがらを連れて帰った時も扉を開ける瞬間
反射的にその気持ちになってしまって、
それですぐに
それはもうないのだということを
思い出し思い知らされました。
これはしばらく続くことに決まっています。

扉を開けて
カラのケージを見て
号泣せずにいられるわけがありませんでした。

 

文鳥はまた飼いたいです。
文鳥はとても素晴らしい、
本当にとてもとても素晴らしく愛らしい
生き物でした。

飼い始める前からも
飼い始めてからも
きっとこの文鳥さんを失ったら
また別の文鳥を求めるようにならずにいられないだろうと
覚悟のように思っていました。
同時に失う日を想像してはただ恐怖してもいました。

たとえどのような経緯であろうと亡くしてしまえば
その命を失わせてしまったことを
保護する立場として後悔もするだろうし、
こうしてやればああしてやればと
思わずにいられないだろうし、
とにかくそんな日が来るのが恐怖でした。

想像よりずっと早く来てしまったその日に
なきがらの供養の場所や方法の選択を
調べながらまだ何も信じられていない自分を感じます。
これからずっと重ねて
その不在を思い知るであろうことも
容易に想像がつきます。

いまは文鳥や小さな動物を亡くした方々が
その後の日々をどのように過ごされたかなどを
ネットで検索せずにいられないので、
この文章もいつかどなたかのわずかなりともの
安寧の一助にでもなればとも思います。

普段のこのブログ内での文章は
取っ散らかり以外の何物でもなく、
今は自分の生い立ちの整理をするために
書いているような部分もあったりと、
何にせよとうてい愛らしいペットブログなどではないですが

こういう者もいて
小動物を飼って失ったという
ネットに散らばる文章として置いておかせて
もらいたいです。

2019年

2018年の年末は、
ミス〇〇の「君が好き」以来の
嫌いと言いきれてしまう曲である、
西〇〇ナさんの「トリセツ」から逃げ回り、
(世に溢れている曲が
好きなものばかりなわけはないのですが、
正直全然好きではないが嫌いとまではいかず
「どうでもいい」と思えてしまう曲のほうが遥かに多いので、
ここまでこう直接的な嫌いの感情を催させるのも
それはそれで凄いとは思っています。
また自分は流行には疎いものの
かの曲が今年の曲でないのも一応知ってますが
年末にテレビで歌唱シーンに出くわすことが
多かったので)

2019年の年始早々は、
自分の
J事務所を何となくずっと俯瞰して
観察、というと適切でないですが
その在り方を興味深く眺めさせてもらっている
といったようなスタンスを、
折に触れて話して来たので
もう少しは理解されているかと思っていたら、
全然全然理解されてないことに
気づかされたところから始まりました。

笑い話ぽいですが
それだけ取れば笑い話なんですが
そこまでの道のりみたいなものがあるので
そう笑い話でもなかった感じですが、
割と諦めている自分もいたので、
勝手に期待したらいけないよな
のところもまた再確認した感じでした。
まあ個人的にはそこまで楽しくないはなしです。

 

そこでたまにははてなのお題というものに答えて
記事を書いてみようと思いました。

上でざっと書いている項目も

※なぜ上のような曲が嫌いか

※そこそこの年月のあいだ
 どのようにJ事務所を興味深く
 眺めさせてもらってきたか

などをもう少しは突っ込んで書ける機会を
増やしてゆきたいということを
今年の抱負のひとつにしておきたいです。


J事務所を観察というかをさせてもらっている
スタンスを常々語っていたにもかかわらず
理解されていないことに今更気づかされたついでに

そのようなスタンスならばせめて
外に向かって少しは書き残したら
と言われたので

自分でもまあどなたの目に触れるでもないにしても
そんなようにはしたいと思いつつ
できないことも多かったので、
もう少しは増やしてゆきたい
できるうちに少しでも、
と改めて感じたことを抱負のひとつとして
挙げておきます。

 

気持ちだけの話なんだな

最初に念のため書いておきますが
当然ながら以下の文章は、

まともな身内を亡くされて
喪中であるといったかたに対して
どうこうという話をしたいわけではないです。


前の記事に書いたようなことで

自分のただ一人の親として
そいつを頼りにするしか
生まれる前から他に何も誰もおらず
育たなければならなかったけれど、
よりによってそんな立場の者が卑劣な屑で
どこにも逃げ場がない子どもに対して
そいつが周囲も巻き込んでしてきた所業は
こちらも大人になってから振り返ると、
口にするのも総毛立つような嫌悪しかない、
そういう者が死んだらしいので

親であることを
戸籍などでなかったことにしてはくれないので
世間はそれを親として扱う以上、
喪中にする場合はするんでしょうが
当然する気がない。

弁護士が送ってきやがった
(この言い方に問題がないわけでないでしょうが
こちらの人生を生まれる前からずっと踏みにじってきた者に
仕事と割り切って加担できるお仕事のかたに
私が好印象を抱かなければならない理由もないですし、
勝手にあばかれた住所に弁護士が郵便物を何度も送付してきて
そのたびに受取拒否しているのでこの言い方になるのも
個人としては当然のことでもあります)
電報を、これはそういう場合はどんな電報になるか知りたくて
単に興味だけで何日も遅れてから受け取ったけど、

誰が喪主になったのかもわからない
葬式もしたようだが、
それらを思い浮かべると
細かいことを想像したり考えたりしそうになる。
しかし誰も真実を知ろうともしていないのだから、
私がそれらの風景を考えたところで自分の生涯に有害すぎる。

それにしても弁護士のすごいところは、
隠している住所を
勝手にあばかれた人間の感情など
もちろんかえりみず
「仕事」として郵便物を何度も送ってくるところで、
すごい仕事だと思う。
もちろん必要な職業だが。

とにかく喪中とかって
気持ちの問題なんだなと再認識したはなし。

虐待親が死んだという話をメモ

 


 --------------
 急にこんなことを書くのもなんなのですけども
 自分は
 血縁上の肉親が他にどこにいるかは知ったことではないですが
 実質上は肉親が一人しかいない母子家庭で育って

 そのたった一人の肉親である生物が
 今で言う毒親とかそういう言葉で表してしまうには
(その言葉の元になった『毒になる親』は
 読み切ることができないほどに名著ですが)
 今の「毒親」という言葉の使われ方を見るにつけ
 とてもそれを使う気にならないのですが

 そういうような親であったというかで、

 そいつと二人きりの家庭で
 そいつだけを頼りに生まれて育たなければならなかったので

 自分の現在の認識としてそいつは、
 誰も気づかず
 おおよそ私が申告でもしない限り法にも触れず
 私以外は誰も困らない
 しかも病気等で本当に困難にある方々とは
 全く別の状態で、
 当然自覚もないので本人は全く困らないまま
 誰も裁けず野放しになっている異常者、
 です。
 でした。

 忌々しいことに戸籍上やあらゆる手続き上で
 そいつが親でないことにする方法がないので
(どこかに養子縁組をする等の方法が
 いまの自分には現実的でないので)
 何かそういう屑以下の存在としか認識していないが
 何も知らない他人はそれを私の母親というところの、
 その生物が死んだという知らせがあったらしいという話を
 今日聞かされたのでそれをきっかけにここに
 書き留めています。

 らしい、なのは私は便りも受け取らないようにしているからで、
 他の人からそれを知らされて詳細を確認はしていませんし
 そもそも詳細を知りたくもないし
 こうむらなければならないようないわれのない
 面倒も要らないですし、
 一切関わらないのを今後も続けたいというだけのことです。


 とりあえず人生でありえないほどとんでもない時に
 踏みにじられるべきでないものを踏みにじられ
 台無しにされたなんてものではないことを経て、
 さらに改心を求めても
(改心に限らず何かを求めることが意味のない相手であるので)
 到底得られるものでないと悟るほかなかった、
 そういう経緯の果てに
 そいつを自分の人生から無関係にしていくしかないとなって、

 それでも、
 縁を切る、ということは
 本当は手続きでも公的文書でもそれを明らかにしてほしいのに
 世の中の大部分はそれを必要としないゆえに無関心なので
 そんな制度は出来ようはずもなく、
 縁を切ると言っても
 自分が離れて生活も気持ちも無関係で暮らすようにする、
 しかできないことが大変納得がいきませんが、
 現状それしかできないならそれでやるしかないまま
 過ごしていました。

 しかしそうして住所を告げずに引っ越しても、
 こちらはとうに成人も過ぎている独立した存在であるはずなのに

 一度は卑怯としか言いようのない手段で
 他人をだまし住所を聞き出し、
 押しかけてきてその時にこちらが留守だったからといって
 隣の住居の人に私の様子を聞こうとしているところに
 ちょうど私が戻り追い返したけれど、
 いかに自らが正当な理由から正当なことをして
(住所を卑劣なやり方で突き止め押しかけ
 隣の家の人にまで恥をふりまいた挙句に)
 いるかを主張され、

 住所を突き止められている不快を抱えながらも
 引っ越しなどそう簡単にできるものでもないので
 しばらくはそこに住んだけれど、
 そののちにきっかけがあって全く別のところに引っ越し、

 それでも
 一年もしないうちに新しい住所も
 何らかの手段で突き止めたのでしょう、
 思い出しても吐き気がしますが急に書面が送付されました。
 そいつからの文書はとにかく郵便であれば
 開封など一切せず受取拒否で送り返す、
 以外の選択をしないので、
 内容は知る由もないです。
 しかしポストにその封筒が入っていたことだけでも
 思い出すだけでも吐き気がしますし
 塩でも消毒液でも撒きたいことでしかないです。


 急に差し込むような話ですが
 私は昭和のまあどちらかと言えば(すごくどちらかと言えば)
 終わりのほうの生まれなんですが

 自分が生まれてある程度の年齢までを
 過ごすしかなかったその時代に対して、
 愛憎でいえば憎のほうにだいぶ偏るけど
 とりあえずあんまり良くないところ、
 こどもに対する世間の扱いであるとか、
 自分ではどうしようもないことなどを
 平気で差別する今現在ではありえないような
 価値観がまかり通っていた無神経さなど、
 そういった部分を持っていたその時代を
 経年したからといって過去になったからといって
 絶対美化などさせやしない、という気持ちは
 強く持っています。

 もう平成で過ごした時間のほうがずっとずっと
 遥かに長くなったけれど、
 生まれてからいわゆるところの物心つくまでの
 時間を過ごさなければならなかった時代の記憶は
 それなりにどうしても強いものだと
 昭和を思い返すと思い知らされるようです。

 昭和どころか平成も終わろうという頃
 そいつが死んだことに特に意味を見出す気にもなりませんが。
 一切の記念的な考え方を適用する気にならない相手なので。

 死んだと聞かされても、
 塩を撒きたい気持ちにしかならない書面を
 住所を勝手に探られ送付された時から、
 ご自慢だった筆跡のきれいさとやらが
 感じられないぐにゃぐにゃした文字で
 封筒を書いてきたのを見たときから、
 そいつはそういうことで他人の同情を引きたがって
 ただ一人の自分のこどもを陥れて
 自分を正当化してきたのでまた、
 こんな字しか書けなくなるほど弱った自分
 アピールもあったんでしょうが、
 まあご自慢の筆跡も乱れるほど具合悪いんなら
 死ぬんじゃないのとも思っていたので、
 順当にそうなった確認であって、

 せいぜい天涯孤独で惨めに
 なるべく長く惨めさと苦痛を味わえばいいと
 思っていたものをそうならないものだね、
 といったところです。

 葬式等するのかすら知りませんが
 家族もないのに誰かが葬式をしようとしてくれるというなら、
 天涯孤独で惨めさを味わって死んでくれなかった証明だとすれば
 不愉快だなあというか。

 でも平均寿命まで全く到達もしなかったようなので
 そのあたりに天の采配などは見出してもいいのかもしれませんが、
 とりあえず気持ち悪いので考えるだけ不快だし面倒です。

 そんなことを考えるくらいなら
 昨年から飼い始めた初めてのペットというかの
 桜文鳥の環境を充実させることを考えたい
 という気持ちです。

 書き留めておきたいことは他にもあるけれど
 日を追ってまた何か書いていきたいです。

 この区切りには、
 今までせめて文章に残しておきたいと思いながらも
 色々と躊躇してしまうことが多かった部分が、
 どーうでもよくなるきっかけくらいに
 なるならまあそれはそれで、と今は思いますが

 それが全てではないだろうし
 また他の日には自分がどう思うかも分からないので
 何かまた変化があるなりで書き留める機会を
 持ちたいと考えているところまでで今は。

 もう少し要点を絞った文章を書く練習もしつつ
 数を重ねられたらいいという願いと共に。