けいぞくしたい

継続したい。

文鳥はとても素晴らしい動物で

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飼い始めて一年一か月を越えたあたりの
文鳥を亡くしました。
昨日2019年2月4日のことです。

桜文鳥でした。
胸のあたりは
桜文鳥の桜の名の由来を思わせる
薄いもやのかかったような
白とグレーとセピアが混ざって
模様を作っているような柄になっていました。
頬にも白の中によく見ると少し
薄くセピアの小さな点のような部分が
いくつか混じっていて、
尾羽は墨を流したようなというほかない
深みのある色の黒でした。

子どものころ
ペットを飼えるような育ちをしていない自分にとっては
生まれて初めてのペットと呼べるような存在でした。

どの子にも
うちに来るよりいい生涯があるだろうから
自分が命を預かったりしてよいのかと
何年も何年も考えて、
それでもどうしても文鳥と過ごしてみたくて
決心してペットショップに何度か下見に行ったりして
連れてきた文鳥でした。

連れてきたときは毛は生えていましたが
まだ雛で自分だけで餌を食べることはできず
最初の二週間ほどは
雛用の餌を作り専用の器具を使って
私の手で与えていました。

飼い始めてからは
やはり来てもらってよかったと日々思うことばかりで、
毎日毎日愛らしい様子や、
生えかわって桜文鳥の色が出てきてからは
天然の羽や毛並みの美しさにも、
いつもいつも新たな感嘆のようなものを覚えて

この子がいなくなったらどうしようと
ほぼ常に思っていましたが
それでも文鳥の平均寿命を考えて
それはまだ先のことだと思っていたのに

それがずっとずっとずっと早く来てしまい。


家にいる時にもう動かなくなっていて、
昼休みに入ったころの時間外でしたが
調べて電話で複数問い合わせたら
連れてくるよう言ってくれた近所の獣医さんに、
他に手段もないので徒歩で
文鳥を包みケースに入れてカイロをあてて
連れて行きました。

でもただ確認のためだけに行くことにしか
ならないだろうとは思わざるを得ない状態だったので、
ケースの入った袋を両手でかかえて、
文鳥への謝罪の言葉を繰り返しながら、
日頃からの体力と鍛錬のなさゆえに鈍重な足を
それでもなんとか自分なりには早く動かして、
転がるようにとでもいった様で向かいました。

電話を受けて待っていてくださったお医者さんは
初診だったので問診票を書くよう言われ
書きながら文鳥をまず先に診てくださらないかな
でももう確認だけだとお医者さんには分かっている
状態だからなのだろうなと絶望を頭の中で何度も確認して
問診票を書き終えお渡しして、
お医者さんがじゃあ診てみましょうかと
聴診器を当てて
心臓が止まっていて死後硬直も始まっていますね
と教えてくださいました。

見ている時に動かなくなって
それから慌てて行動しているはずなので
まだそれから一時間ほども経っていないかと思うのに
そんなにも早く死後硬直が始まってしまうのかと、
それもこんなに小さな体ゆえなのだろうかと、
思われてまたやるせなくもなりました。

もっともっと長く生かしてやれなかったことが
文鳥に対してとても申し訳ないですし、
小動物という生き物の弱さというかを
もっともっと深く熟知までしてあげていればと
思わずにはいられないです。
そしてあの愛らしいことこの上ない生き物が
もうこの世にいない生きていない事実を
とても信じられないです。

帰宅したり部屋の扉を開けるたびに
聞こえるあの鳴き声を、
いつも扉を開けようとするたびに
一瞬身構え待ちかまえる癖がついていたので、
なきがらを連れて帰った時も扉を開ける瞬間
反射的にその気持ちになってしまって、
それですぐに
それはもうないのだということを
思い出し思い知らされました。
これはしばらく続くことに決まっています。

扉を開けて
カラのケージを見て
号泣せずにいられるわけがありませんでした。

 

文鳥はまた飼いたいです。
文鳥はとても素晴らしい、
本当にとてもとても素晴らしく愛らしい
生き物でした。

飼い始める前からも
飼い始めてからも
きっとこの文鳥さんを失ったら
また別の文鳥を求めるようにならずにいられないだろうと
覚悟のように思っていました。
同時に失う日を想像してはただ恐怖してもいました。

たとえどのような経緯であろうと亡くしてしまえば
その命を失わせてしまったことを
保護する立場として後悔もするだろうし、
こうしてやればああしてやればと
思わずにいられないだろうし、
とにかくそんな日が来るのが恐怖でした。

想像よりずっと早く来てしまったその日に
なきがらの供養の場所や方法の選択を
調べながらまだ何も信じられていない自分を感じます。
これからずっと重ねて
その不在を思い知るであろうことも
容易に想像がつきます。

いまは文鳥や小さな動物を亡くした方々が
その後の日々をどのように過ごされたかなどを
ネットで検索せずにいられないので、
この文章もいつかどなたかのわずかなりともの
安寧の一助にでもなればとも思います。

普段のこのブログ内での文章は
取っ散らかり以外の何物でもなく、
今は自分の生い立ちの整理をするために
書いているような部分もあったりと、
何にせよとうてい愛らしいペットブログなどではないですが

こういう者もいて
小動物を飼って失ったという
ネットに散らばる文章として置いておかせて
もらいたいです。