けいぞくしたい

継続したい。

今だからまさに考えていたので

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何も私とて
文春の記事を取り上げたくはないのですが


最近しばしば思ったり思い返したりしていることがあって、
そこにこの記事ということは
世間もそうなのかなということを
書き留めておきたかったので。

 

bunshun.jp



https://bunshun.jp/articles/-/15170?page=3

―― 私が記憶に残ってるのは、『TVタックル』で「女の敵は女」というテーマで女同士を討論させようとした回です。はじまってすぐに先生が「こういうのはやりたくない」と言って、その構図を拒否したのを覚えています。

インタビュアーの人の言う回は
私にもとてもよく記憶に残っていました。ずっとです。
そんな場を無礼にも与えられた田嶋さんは、
「女性が自分の持っているものを
自分の意志として使うことを選択しているのに、
それを否定する気持ちなどまったくない」
というようなことを、
力を入れるでも大げさにでもなく
大変自然におっしゃっていたのを強く覚えています。

対決させられるために連れてこられた女性たちは、
あまりに番組スタッフにたきつけられ
戦闘態勢になっていたであろう最初の様子とは違い
とても静かになっていました。

そのあとで田嶋さんは
番組スタッフに対して明確に、
こういうテーマではできないし
こういったことは許せない
といったことをおっしゃり、
番組が続かなくなっていた印象でした。
ただそれを放送したところだけは番組のなけなしの誠意なのか
とも考えたりもしていました。
それとも単に他に放送するストックがないからだったのか
測りかねる部分がありますが。

 

https://bunshun.jp/articles/-/15170?page=5

自分の考えが間違ってなかったと思うのは、このインタビューもそうだけど、最近になって30代、40代の人に取り上げてもらうことが増えてきたことです。きっと、あのとき怒ってた変なおばさんの言うことが、正しかったのかもと思ってくれてるんでしょう。たくさんケンカして、批判されて、足蹴にされてきたけど、そうやって種をまくことはできたのかなって。

まんまとその通りでとてもとても何ていうかとても
あーもう全然まだまだだなって気持ちにさせられてしまっています。
すべてに賛同するとかしないとかでなく。

何か田嶋先生(さんと先生が混じっているのは一応自覚してます。
どちらをどう使うかを判断しかねてはいますが)
はきっと普通のことを穏やかに言っていただけなのだろうと
今は思います。
誰も自分の話を聞く耳を持たないうえに
本質と関係ない所で揚げ足をとるようなことばかり言われるので
その場では声を荒げたようになる場面もあって
それを切り取って編集演出として仕立て上げられていて
それでこそテレビで、
田嶋先生はもちろんそれも承知のうえで
それでも誰も言う場所がないので
届いてほしい人に届けたくて
リスクだけが一見大きく見えるので誰もが避ける場所に
分け入っていらしていたのかと今は思うわけです。
それにどうして何十年もかかるというのか。
人間の生涯はそれほど長くもないのに。
でも世間もひとえにスマホによる情報化とSNS
一般の声が隠せなくなったし広がりやすくなったせいで
ここ数年で一気に変わったところがある気は
体感としてあります。

上にも書いたように
文春の記事でインタビュアーのひともおっしゃっていた
テレビでの様子は
私の心にもずっとずっと残っていて
あの時から田嶋さんの印象は自分のなかで一変した
と思いますし、
何度もあれからこれまでも
折に触れて思い返していました。

自分の勉強も知識も不足している部分は多いので
理解も追いついておらず
田嶋さんにしろ上野千鶴子さんにしろ
同意や共感を高らかに申し上げようという段階には
まだないと申し上げるほかございません。

それでもフェミニズムの印象がどんどん
自分の中でも形を変えて行っていて、
それが何となく以前よりは明瞭になってきたような
気持ちもあります。
そして上記の方々のおっしゃりたかった要旨は
世間でずっと見出しやタイトルにされていた
不要なほどの偏狭さを強調するものとは
違う部分も多かったのかなと。

今年の上野さんの東大入学式でのおはなしの内容などは
自分にはとても常識的なことをおっしゃっているように思えて
ああこういうことを言いたいだけであったのか、
まるで男性の全てを敵視するかのようなことを主張しているように
それこそ印象操作されていただけだったのかと
改めて思わされたのはありました。
しかし
ネットというかニュースサイトのような場所では
その内容に対して
どうして入学式に水をさすようなことを言うのか
という記事なども多いように見えたので、
驚かされました。

自分の感想では過激でもなく当たり前のことを
これから学問をしようという若人への期待を込めて
入学式だからこそ、
語られた内容と受け取れました。
なので反論だとか引くという反応があること自体に
驚かされました。

そんなことを今年は折に触れて
思い返したり考えるともなく考える機会が
増えていた気がします。

そして上の文春の田嶋さんの記事でも
そういう人が多いのかもしれないと窺われた気持ちに
なりました。

フェミニズムが対立を煽る思想であるかのようにされてきたのは
誰かが意図してそう見えるようにしていた構図だった部分は
少なからずあったのかもしれない、とだけは
自分なりの俯瞰をして現在は思ったりもしています。

フェミニズムという言葉がまたなんというか、
片方だけのことを語っているように強く印象付けてしまうかもしれないので、
その言葉ができた当時なら仕方のないもしくは必要な名づけ方だったでしょうが
現在であればもしかしたら他の意味や言葉も包括したほうがいい部分も
あるのかもしれない気もしてきています。

もう少し書きたいことはあるけれどまとまらないので
それでまた書く時も上げる時も逸するので
とりあえずこれだけ書き留めて上げておきます。