海外ドラマなど

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じぶんのじっさいのじんせいがどうにもならなくて
過去のことをずっと考えていたのですが
当然どうにもならないので
ならないからこそ
この十数年一度も忘れたことのない
事柄の数々を掘り返して思い返して
更にどうにもならない気持ちになるの繰り返しで、
ずっとそうで
生きる以外の選択はとりあえずなしであるとの
結論から常に考えていても、
さすがに生きる「よすが」
みたいなものがない状態なのは厳しくて、
そもそも生い立ちがかなりわるいであろう部類なので
生まれる前からそうした
「よすが」のようなものが全くないうえに、
今もどうにも心にもそれが見つからない
みたいな感じで、
十数年間自分は片時も忘れていなくて
取り返しもつかないのに全く償われていない
誰にも省みられてもいない事柄を思って
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるしていて
それでも生きる以外の選択は考えていない以上
さすがにこの瞬間だけでも
他のことを考えられるようにしないと
呼吸もままならないと思って

それで逃避で海外ドラマかなと思って
オンデマンド配信サービスに加入しているので
それで海外ドラマを見たりして

とりあえずぐるぐるぐるぐるぐる考えているのは
一時的に過ぎないとしても
当面の呼吸は何とかひとときにしても
できるかもとこの瞬間思えたので

物語の力は大きいな
自分に関係ない世界に逃避するのは
必要なことだなと
関係なければないほどいいなと再確認していた
明け方のはなしを書き留めておきます。

ついでに海外ドラマのメモ。


Netflixに加入しているので

Netflixオリジナルという
「ミルドレッドの魔女学校」https://www.netflix.com/jp/Title/80130521
「シャドウハンタードラマ版」https://www.netflix.com/jp/title/80084447
を見たりしていました。

どちらも面白いのだけれど
シャドウハンターは
トーリーはそれほど好きでない予感がする。ような。
でも続きが気になって見てしまいそうな。

しかしこれを言うと
実際自分の首も大変絞めるような話なのですが
ファンタジー設定な物語における、驚きの
「人でないもしくは
人を越える能力を持つ生物と、人間との、
あいだに生まれた主人公」の率。

その設定自体はスタンダードとしても
そこでとてもチートな能力の、突然の発動、
といった筋立てや展開がとても苦手です。

能力はあるとしても
最初は上手くいかないけど
それを研鑽するとか
かなり紆余曲折や試行錯誤の過程が
盛り込まれていれば納得できるのですが、
いきなりそれまでの日常とは全く違う世界に
「ひょんなことから」入ることになった主人公が
自分でも知らなかったし
研鑽などしたことのない無敵な能力を、
何の努力もなく都合よく発動する
といった展開が
本当に感覚的に受け入れられません。

子どもというか
自分で物語や漫画などを読めるように
識字し始めた頃から
(字が読めるようになってすぐの頃から
漫画が大好きで仕方なくて
絵本と変わらない感覚で読んでいました)
どうしてもそうした都合のよさが受け入れがたい
と感じていたことを記憶しているので、
とにかく自分には受け入れられない
物語の描かれ方なのでしょう。

具体的にどの作品のことも指していません。
キャラクター、特に主人公に
やたらと都合のいい展開をフィクションで
物語上の説得力も必然性もない、と
感じさせられるような形で見せられるのが
個人的にとても苦手だという、
一般的というか
どれにでも当てはまるはなしとしていうか。

「ミルドレッドの魔女学校」は
そうでないところから始まっていそうなところも
設定としては個人的には受け入れやすそうなのかな、
そうだといいなという段階です。
見始めたばかりなので先の展開は分からないですが。

 

Fire TV Stick も買ったので

Fire TV Stick (New モデル)

Netflixに加入しているなら少しでも活用しないとと
少しでも視聴が面倒でなくできるように
Fire TV Stickも導入してみて


とにかく逃避は必要なので
活用できるものを活用したい感じで
試していて

それでFire TV Stickには宣伝みたいなものも入るぽいのですが
それが、園子温監督の名前と映画だったりするので
大変閉口していたという話も書き留めておきます。

過去を思い出して呼吸もどうにもならん
と感じて逃避しようとしているときに
よりによって
感覚的に忌避感を常に感じている人の名前など
全くもって見たくないものだなと思いました。

名前を出すのも
更に宣伝してさしあげること
でしかないので正直なところ
大変不快なのですが。

名前すら忘れて過ごすのが、
強い忌避感を感じる存在に対する
自分が出来る自分に対して最も有益な
行動であるはずなので。

なんでまた
そんなに忌避感があるのかというはなしは
いつかまとめられたらいいけれど
あまり出来る気がしていないです。
とりあえずその人の肩書が
「詩人」のときに知ってその当時から無理でした。

思いつく点としては
詩のことは自分にはさっぱり分かっていないですが
詩なら詩、
映画なら映画、
と、作品として昇華されたものに触れたいと思って
それを読むなり観るなりするのに、

言葉の力でも映画でもなくて、
詩や映画といった
枠や形なんてものに収まりきらない、
「俺」を見ろ「俺」が凄いと言えと、
作品より「自分」をゴリ押しされてくるのが
この人に限らず
何でも関わりたくないと感じてしまうので、
そこらでまず無理だろうという
匂いを嗅ぎ取ってしまうというか。
そんなところなのかなとは思います。

この人の映画は一本も
最初から最後までは観ていないです。
「詩人」のときから
その存在に忌避を覚えていたにしても、
映画監督として
それなりに名前が出るようになったのだし
映画を観ないで文句は言えないと思い
観ようとするのですが、
数分で耐え難くなるので
とにかくその映画で
提示されているものを
観ること自体が無理なのだと思います。
それは扱っている題材が、ではないことも確かで
この人の視点や描き方が
自分には無理なんだろうとしか
思っていません。

そんなとりとめもない
散らかり気味の覚え書き。