けいぞくしたい

継続したい。

覚え書き

色々あって
十数年以上にも及ぶものも絡まっていて
取り返しのつかないことばかりで
正直物凄く怒っているのだが、
誰も償いなどするはずもないし、
だからといって自分も憤死などしたくないし
壊れたくもないので

なぜ自分が怒っているのか
根源的なあたりを
今回に限らず普段から考えるようにはしている。
こうやって文を打っているのもその一環ではある。

考えるに

自分は普段もここ最近も充分困窮を語っていたし
以前にも同様なことはあったのだから
何も伝わっていないことはないだろう、

改めてまた他人に何か強要したくないし
なるべくというか最大限邪魔しないでほしい
ということを改めて言いづらかったし、

こちらを放っておいてくれるだけでよいし
時間の貴重さも大人なら
(なぜ大人なら、という書き方にするかというと
普段子どもの、道理や生活上最低限の危険回避行動すら
説いても説いても説いても理解しないという
日常があっての今回の話だからなので)
理解するだろうし

だからこちらには構わないでほしいし
しかも24時間×数日単位という
十数年以上に渡って持ち得なかったような
貴重なまとまった時間、

しかも普段から困窮して追い詰められていることも
充分に語っていたのだから、

その貴重なまとまった時間が
いざ来たのだから
自由にさせてほしいというか

相手に何をしてくれというのでなく

ただこちらには構わないで
何かこちらに働きかけたりせず
せめてこの期間だけは
その貴重な時間と
こちらの時間の猶予のなさも考慮して
尊重するというか、
緊急性がなく長い時間に渡る雑談のたぐいや
多くの反応を求めないで
一人で過ごさせてほしいということで

しかもそれを強くこちらから言うのも
とてもはばかられたので
具体的に細かくは言えなかったが
(俯瞰で他人事として考えたり
しかも後から見たりした場合なら、
ここがまず誤りだが、
いざ実際自分のこととしてその場に立って
しかも性格と生い立ちと経緯と立場とで違うにしても
言える人間がそう多いとは思わない)

普段からの困窮と時間の無さを
日々切実に訴えていたことと
これまでの何度かの体験も踏まえて、
この自由な時間だけは
こちらには構わないで
雑談などに応じられない
そんな状況でないことは理解したうえで
(普段からどう言っても危険を回避してほしいがための道理をいくら説いて
理由もなぜかどうしてそうなのかまで説明しても通じない子どもとは違う、
道理の通じる)対応をしてくれると
思っていたのが間違いなのだ。

それでも自分からも
構わないでほしい
放っておいてほしい
作業に集中したいというのは言ったが、

それが
その数日の間だけでよいので
全く働きかけをしないでほしい、
こちらの余裕が全くないのに
そばで雑談などはしないでほしい、
というくらいであるのは全く伝わっていなかった。

その期間をどれだか貴重に待ち望んでいたか
どれほど困窮して本気で追い詰められていたかは
何ひとつと言っていいほど
伝わっていなかった。

何度も切実に話したのに
伝わっていなかった。

じゃあどういう風に言えば伝わるかといえば
何が最適な手順かは知らないが

色々何も出来ない状態だし
とても追い詰められているが、
少なくとも日常の状態を悪くしようともしたくないから
色んな生活上の作業をこなしたりして、
そのまとまった時間を待望したりしていても、
何も伝わらない。

生活上の家事などを全てやらないくらいまでというか、
心も時間も追い詰められている
状態が態度に出るところまで
具体的には怒って泣いて言うところまで行かないと
困っていたことすら伝わらない。

もちろん自分も相手の性質にもよるし
それまでの経緯とかは全く無視できないし
一概にこの方法がいいなんてことはない。

理屈を冷静に言える状態と
それぞれの性格と関係性とが
全て整えることがそれまでに構築できていて、
言葉で説明して理解してもらえるならば
それが最もいいだろうし
それは目指されなければならないだろうが、

果たしてどれだけの人間が
そんなこと出来るものなのだろうか、
どれだけ言っても普通と言っていいほど
大抵の人は相手の気持ちなど慮らないし、
相手の困窮などいくら話されても愚痴としか思われず、
動いて生活していれば
さして困っていないものと認識されるのだから
としか思えない。


とりあえず今回で言えば
どれだけの気持ちで焦りながらも
そのまとまった期間を待望しながら
日常の作業をこなしていたかは
ほんの少しも理解されていなかった。

困っている追い詰められている
そしていかに本気であるかを語ったところで
日常の愚痴にしか聞こえていない。
という場合は往々にしてある。

なんでこれだけ怒っているかは
これが勿論初めてではないし
こういうこと(聞いてはいても理解していない)によって
今迄取り返しのつかないことが
あまりにもたくさんあったからだし
その取り返しのつかないことによって
こちらがどれだけの思いを今も抱えているか
の部分は少なくともある程度は踏まえているはずなのに
こうなるというのがあるからなんだけれども。

いくら書いても
他者から見た文章としては
被害者意識だけが強いものになるだろう。

よくある話よね、とか、

これ以上ないくらい具体的に箇条書きにして
何度も説明してやっと伝わるか伝わらないかくらいだろうに、
はっきり要望も述べられないまま
してくれないしてくれない
だけ言っててなんなの、と思われるであろう
情報量と内容の文章にしかなっていないのだろう。

だからこれは他者に伝えるだけの書き方にできない
整理するための覚え書きだが。

それでも事実の詳細は書けない書かないというかなので
整理できているかは分からないが。
それでも憤死や壊れたりもしたくなかったので。



海外ドラマなど

じぶんのじっさいのじんせいがどうにもならなくて
過去のことをずっと考えていたのですが
当然どうにもならないので
ならないからこそ
この十数年一度も忘れたことのない
事柄の数々を掘り返して思い返して
更にどうにもならない気持ちになるの繰り返しで、
ずっとそうで
生きる以外の選択はとりあえずなしであるとの
結論から常に考えていても、
さすがに生きる「よすが」
みたいなものがない状態なのは厳しくて、
そもそも生い立ちがかなりわるいであろう部類なので
生まれる前からそうした
「よすが」のようなものが全くないうえに、
今もどうにも心にもそれが見つからない
みたいな感じで、
十数年間自分は片時も忘れていなくて
取り返しもつかないのに全く償われていない
誰にも省みられてもいない事柄を思って
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるしていて
それでも生きる以外の選択は考えていない以上
さすがにこの瞬間だけでも
他のことを考えられるようにしないと
呼吸もままならないと思って

それで逃避で海外ドラマかなと思って
オンデマンド配信サービスに加入しているので
それで海外ドラマを見たりして

とりあえずぐるぐるぐるぐるぐる考えているのは
一時的に過ぎないとしても
当面の呼吸は何とかひとときにしても
できるかもとこの瞬間思えたので

物語の力は大きいな
自分に関係ない世界に逃避するのは
必要なことだなと
関係なければないほどいいなと再確認していた
明け方のはなしを書き留めておきます。

ついでに海外ドラマのメモ。


Netflixに加入しているので

Netflixオリジナルという
「ミルドレッドの魔女学校」https://www.netflix.com/jp/Title/80130521
「シャドウハンタードラマ版」https://www.netflix.com/jp/title/80084447
を見たりしていました。

どちらも面白いのだけれど
シャドウハンターは
トーリーはそれほど好きでない予感がする。ような。
でも続きが気になって見てしまいそうな。

しかしこれを言うと
実際自分の首も大変絞めるような話なのですが
ファンタジー設定な物語における、驚きの
「人でないもしくは
人を越える能力を持つ生物と、人間との、
あいだに生まれた主人公」の率。

その設定自体はスタンダードとしても
そこでとてもチートな能力の、突然の発動、
といった筋立てや展開がとても苦手です。

能力はあるとしても
最初は上手くいかないけど
それを研鑽するとか
かなり紆余曲折や試行錯誤の過程が
盛り込まれていれば納得できるのですが、
いきなりそれまでの日常とは全く違う世界に
「ひょんなことから」入ることになった主人公が
自分でも知らなかったし
研鑽などしたことのない無敵な能力を、
何の努力もなく都合よく発動する
といった展開が
本当に感覚的に受け入れられません。

子どもというか
自分で物語や漫画などを読めるように
識字し始めた頃から
(字が読めるようになってすぐの頃から
漫画が大好きで仕方なくて
絵本と変わらない感覚で読んでいました)
どうしてもそうした都合のよさが受け入れがたい
と感じていたことを記憶しているので、
とにかく自分には受け入れられない
物語の描かれ方なのでしょう。

具体的にどの作品のことも指していません。
キャラクター、特に主人公に
やたらと都合のいい展開をフィクションで
物語上の説得力も必然性もない、と
感じさせられるような形で見せられるのが
個人的にとても苦手だという、
一般的というか
どれにでも当てはまるはなしとしていうか。

「ミルドレッドの魔女学校」は
そうでないところから始まっていそうなところも
設定としては個人的には受け入れやすそうなのかな、
そうだといいなという段階です。
見始めたばかりなので先の展開は分からないですが。

 

Fire TV Stick も買ったので

Fire TV Stick (New モデル)

Netflixに加入しているなら少しでも活用しないとと
少しでも視聴が面倒でなくできるように
Fire TV Stickも導入してみて


とにかく逃避は必要なので
活用できるものを活用したい感じで
試していて

それでFire TV Stickには宣伝みたいなものも入るぽいのですが
それが、園子温監督の名前と映画だったりするので
大変閉口していたという話も書き留めておきます。

過去を思い出して呼吸もどうにもならん
と感じて逃避しようとしているときに
よりによって
感覚的に忌避感を常に感じている人の名前など
全くもって見たくないものだなと思いました。

名前を出すのも
更に宣伝してさしあげること
でしかないので正直なところ
大変不快なのですが。

名前すら忘れて過ごすのが、
強い忌避感を感じる存在に対する
自分が出来る自分に対して最も有益な
行動であるはずなので。

なんでまた
そんなに忌避感があるのかというはなしは
いつかまとめられたらいいけれど
あまり出来る気がしていないです。
とりあえずその人の肩書が
「詩人」のときに知ってその当時から無理でした。

思いつく点としては
詩のことは自分にはさっぱり分かっていないですが
詩なら詩、
映画なら映画、
と、作品として昇華されたものに触れたいと思って
それを読むなり観るなりするのに、

言葉の力でも映画でもなくて、
詩や映画といった
枠や形なんてものに収まりきらない、
「俺」を見ろ「俺」が凄いと言えと、
作品より「自分」をゴリ押しされてくるのが
この人に限らず
何でも関わりたくないと感じてしまうので、
そこらでまず無理だろうという
匂いを嗅ぎ取ってしまうというか。
そんなところなのかなとは思います。

この人の映画は一本も
最初から最後までは観ていないです。
「詩人」のときから
その存在に忌避を覚えていたにしても、
映画監督として
それなりに名前が出るようになったのだし
映画を観ないで文句は言えないと思い
観ようとするのですが、
数分で耐え難くなるので
とにかくその映画で
提示されているものを
観ること自体が無理なのだと思います。
それは扱っている題材が、ではないことも確かで
この人の視点や描き方が
自分には無理なんだろうとしか
思っていません。

そんなとりとめもない
散らかり気味の覚え書き。

山月記

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

 

 
青空文庫にあるような小説を
本当に少しずつ少しずつですが
読み進めていて

山月記を今更ながら読了しました。

学生時代に読まないのかと言われれば
もうほんとにそうですねーというところで
ずっと気にはなっていましたが
読まないまま大人の年齢になっていました。

そしていま山月記だけとりあえず読み終え
その素晴らしく直截的でありながら美しい
「意志」を感じる文章に感銘を受け
せめてもの記録にと
読了したことをここに記しておきます。

なんという短さ。
予想以上に短編でした。
そしてそのなかにある文章に宿る意志の清廉さ。

中島敦という作家が早世であったことは
読んだことすらない私ですらも
それを惜しむ気持ちが常にあったのですが、
実際読んでみてこのような内容の小説を残しながら
本人が早くに亡くなるとは
作家自身はどれほどの気持ちであったのか
と思うとまた一層
すぐにはまとまらぬ表しきれぬ
気持ちにさせられて堪らないようでした。

山月記は、
詩人としてのおのれの才を発揮しきれないまま
数奇な運命によって「虎」になった人の
心の吐露という形を取っています。

その短く美しくまとめられた内容の中に、
創作や表現を生業にすることに対する心持や、
そしてそれを生業としながら
市井の人間として生活もせねばならない
しかもそれをおろそかにするのは
自分で許せないというような高潔さが
詰まっていると感じました。

美しく整った分かりやすい文章にも拘わらず
訴えかける内容が表現されていて
そこに高潔な精神までも窺われ
どうしてこのような作品を著す人が早世であったのか
このような人であったからこそなのか
と、またどうにもならないことを思わされもしました。

李陵もまだ読んでいる途中なので読み進めたいです。

李陵

拍手ありがとうございます。
大変励みにさせて頂いています。 
はてなの使い方などもまだ理解できていないのですが
スターありがとうございます。嬉しいです。



 李陵

pakirapakira.hatenablog.jp

pakirapakira.hatenablog.jp



上の記事でも書いた事項として
今更青空文庫を読むということをちまちまと続けているのですが 
『墨東奇譚』
(書名のままの変換が自分の環境で出ません。
そのうち辞書登録しようと思います)の続きも気になりつつ
中島敦も気になって『李陵』を読み始めていて。

それで澄み切った素晴らしい文章だなーと
また調子よく読んではいたものの。

作品の中の舞台設定としてそりゃそうなるという部分ながら、
群を率いる若い武将の
女性の扱いが非常に無体も何もないくらいの勢いである描写を
読んだあたりで
うわああきつうううううういいいいいとなって少し止まっている
という所感をそのまま覚え書き。

歴史小説としたら
当然と言えば当然に出てくるような描写であるし、
若いながら群を率いる武将の責任として
行った流れであるのも理解しつつも
非常にダイレクトにメンタルに響いてしまったようです。

どうやら自分としては自然に
夭折の作者の生きた時代としても、
どちらかと言えば現代小説という感覚も
大きい状態で読み始めていたようです。

小説の舞台設定はさすがに知っていながら。

そして吉川英治などなら歴史小説として
きっと流せたであろうと思われるのに。

読んだこともないからこその
中島敦に対する自分の感覚が
そういう風なものであったのか
と思わされているところで、
我ながら驚いている部分でもあります。

とりあえず先を読む気はあるので
読了したらまた感想のようなものを
書き留めたいです。

李陵

李陵

 
李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)

遙かなる時空の中で3を

遙かなる時空の中で3を五年ぶりに引っ張り出す

 

遙かなる時空の中で3 Ultimate - PS Vita

コーエーテクモ the Best 遙かなる時空の中で3 with 十六夜記 愛蔵版 - PSP

 Ultimateではなく。
ファンディスクと一緒になった愛蔵版を。
with十六夜記ではあったけれど
上の画像の[the Best 2,800]ではなかったです。
乙女ゲームだけに限っても全く詳しいわけでもない私でも
買ってやってみようと思ったくらいなのですから
間違いなくシリーズのなかでも有名タイトルとは思いますが
一体何種類の「遙かなる時空の中で3」が出ているんだろう。

とにかくその時でもうすでに
発売からは結構経っていたものの
個人的にそういったものをやってみたい周期であったので
五年と少し前くらいに買ったのです。PSPで。

しかし2つくらいのルートを開いたものの
多分ゲームに慣れていないのと頭が固すぎるせいでしょうが、
そのあとを何度やっても同じところに入ってしまうので
(攻略などを参考にさせてもらったにもかかわらず)
挫折したまま五年ほど経過…。

またPSPだったので
他の作品は古いものをアーカイブで購入してプレイして
楽しませてもらう感じだったのだけれど
こちらの愛蔵版はダウンロードで買えるものでなく(当時)、
ディスクだと読み込みがガーガージージー
おっしゃるのが地味に気になったりなどもありました。

そのあともずっと他のルートが気にはなりつつ
PSPを起動するのがつい億劫になったりのままでしたが、
Ultimateの発売でまた気になって今度は
買ったのにやらないよりはという気持ちで
ざっとでもやってみたら、
どうしても入れなかった九郎義経ルートの
エンドをおそらく見られました。

なぜかこどもの日にその気になって
(申し訳ないけれどとりあえずという気持ちで)ざざざーっと
しかもUltimateの攻略を参考にさせてもらってやってみたら。

ねえあの、
途中の白龍のアドバイスって参考にさせてもらいすぎたら
逆効果なんでしょうか。
あれをとても頼りにしていたらば
この運命ではだめかもと白龍にとても暗い面持ちで
何度も言われてしまうので
五年ほど前はそこで挫折したのです。
しかし今回は、ちょっとまた白龍にはそう言われたけど
でも攻略を参考に押し切ってみようかとやってみたら
おそらく通常のハッピーエンディングのようなものを
見られたような。

作品の感想は、後日書けたら。
五年前に見られた二つくらいのルートと今回開けたルートと
合わせての印象など。

とにかく五年越しの懸案事項というかが少し晴れたようなというか。
それだけをメモとして覚え書き。

機械

pakirapakira.hatenablog.jp

これよりひとつ前の記事で書いたことの続きだけれども
横光利一の機械を読み終わっていた。日曜日に。


こ、こういう話だったんだあというのがとにかくの感想で。
結末がそうなるとか。

でも正直結末よりもそこに至るまでに、
主人公がぐるぐるぐるぐるぐるぐる
考えて最初から最後まで
脳みその中だけでずーっっっと呟いている過程を
綴った文章が素晴らしかった。

とにかくもうその文章を堪能させてもらいました。

同じ横光利一の『蠅』も読みたいけれど
次は永井荷風の墨東奇譚
(実際の書名表記と違うのでしょうが変換が
自分の環境でざっと探しただけだと略字でしか出ないです)
が、読みかけなのでこちらを読了したい。

蠅

 

 


あと忘れないように書き留めておくというだけのことですが

www4.nhk.or.jp


NHKアーカイブで放映していた山田風太郎の番組を見て
とてもよかったので不勉強ながら読む機会のなかった
山田風太郎作品を読んでみたいと思ったりしています。 

警視庁草紙〈上〉―山田風太郎明治小説全集〈1〉 (ちくま文庫)

警視庁草紙〈上〉―山田風太郎明治小説全集〈1〉 (ちくま文庫)

 

なかでも明治物というのが読んでみたい。

  


 

 

文豪とは

 

濹東綺譚

濹東綺譚

 

 どうにもこうにもならんので
(じんせいが)
絵とか本とか映画とか漫画とか
あらゆる創作物に逃避してここまで生きてきました
みたいな感じなんですけれども

それでまだまだまだまだ相当に
結構などん詰まりを感じるからこそ
最近はちまちまちまちま少しずつ
青空文庫から出ている本をkindleで読むようにしていて。

まあそれには何ていうかな感じの
きっかけもあるのだがそれについては
また書き留められたら書き留めていきたいので
今回は別の話としますが。

それで自分は本は好きは好きなのですが
極めているわけでもなんでもないので、
横光利一新美南吉永井荷風
そういえばきちんと読んでないんだなあ、
それも(有名な文学作品の数々をさして読めていないこと自体が)
自分の極めて数多いコンプレックスのひとつでもあったなあ、
と改めて思い。

読んでみると
本当に文豪と呼ばれるような人たちの
文章は非常にどれもこれも素晴らしくて
今更ため息ばかりです。

そこで起きている事柄が起伏に富んでいるとか
奇抜な展開をことさら用意するではなくても、
というかそういう奇想天外さはどれにもないのに、
文章が形容が言い回しが
そしてそこで登場人物および作者が
何を考えていたかどれだけの思索が繰り広げられているかが
文章で読み取れる形で提示されていることに
本当に今更ながら舌を巻くのです。

わたしなどが改めて言うまでもないことながら
ひとの頭の中は覗けないのです。
それなのにこうやって作品のなかには提示されて
極めて美文で綴られているそれが残っていて今も読める
というのは(それが修飾したりで思考そのものとは異なるとしても)
凄いことなのだと改めて感じ入るばかりでございます。

機械 手袋を買いに

 

 

しかし回し者でもなんでもないですがkindleというか
kindle以外のものも含めた電子書籍及び電子書籍リーダーとは
大変素晴らしいものであります。
kindle以外は個人的には使っていないが共通の利点でありましょう)

まず、
場所を取らない。
膨大な本がそんな小さなハードの中に。
そして専用リーダーでなくても
アプリを入れてスマートフォンタブレットで読むことは可能だが
読書しようというには重量が重く
地味にしかし確実に負担になるものなのです。
が、その点、専用リーダーは素晴らしく軽く腕や姿勢に負担にならず、
動作としても軽快である。

ここらあたりは当然かつ大きなメリットとして
挙げられることとしてさらには、
紙魚がつかない
(これ重要なんですけどお。紙の上を這っているところを見ると泣きそう)。
・カビが生えない
(ほんとにこれ重要なんですけどおお)。
・退色しない
(古書などはそれが見た目に風格を加えてもいましょうが
読み返したいだけの個人の蔵書にそのようなものは必要ないのです)。

改めて列挙してみると
現代の恩恵にひれ伏す必要があるような気すらしてくる。

個人的には紙の書籍は大好きで
紙の種類を見たり
装丁の違いを味わうなどは
本当に本当にたまらないくらいなのですが
それでもそういった楽しみは
もう今や贅沢品である、と割り切るようにしています。

上に出したそれぞれの作品については
合間合間に少しの暇でも読むようにして
(でないと読まないので)
まだまださわりくらいまでで、
しかしその時点でその美文と洞察力描写力などに
ため息をついたり舌を巻いたりしています。
とにかくそのようなペースですから
読み切れていない作品ばかりなので
読了したりしたらまた書き留められたらよいなと
自分に呟くような気持ち。


また覚え書き記事だけれども

wpb.shueisha.co.jp

自分自身に
原発といったような確固たる思想があって発言したいという
強い気持ちや姿勢があるとは到底言い切れませんが

震災時の事故が無かったことになるのはどう考えても違うし、
原子力が未来のエネルギーとするのももう無理だろうし、

原子力はその利用の反対賛成如何にかかわらず
どのように見積もろうと人間に制御できるものではないし
その安全な利用などあり得ないとしか考えていないので、
この六年のあいだエネルギー問題を見直す機運がないことに焦りは感じていて

外国のかたからでないとこういった明確な発言は出にくいのだろうか
とは思いました。
という覚え書きを。

思い出した女性アイドルの名曲を覚え書き


ブログの方向性など考えて
色々幾つかブログ自体を分けて書いていた時もあるのですが
(映画とか漫画とか音楽とかそれぞれ分けるっていう…)
続かないという非常にありがちなことになっていたので
もう思いついたことを書き留めていくだけになっています。

北原佐和子のマイ・ボーイフレンドはとてもいい曲なので

 

北原佐和子 ゴールデン☆ベスト 北原佐和子 コンプリート・シングルズ&モア

 

 そんな感じで。

謡曲も好きなんですけど
北原佐和子のマイ・ボーイフレンドはとてもいい曲なので
もう少し歌謡史のなかで言及されてもいい気がしています。
私が知らないだけでされているのかもしれませんが。
もっと、っていうか。

いかにも1980年代前半のアイドル全盛期らしい
正直良くも悪くも素のままの鍛え上げられてはいない感じの
歌唱が評価に繋がりづらいのか。

 

南野陽子の「話しかけたかった」も名曲なので

ゴールデン☆アイドル 南野陽子 30th Anniversary(完全生産限定盤)GOLDEN☆BEST/南野陽子 ナンノ・シングルス3+マイ・フェイバリット

 

あとアイドル歌謡曲しかも女性アイドルで思い出しただけですけど。

そして歌謡史としての年代も感覚で言うと
1980年代の前半と後半では違うと思うので、
ひとまとめにしたいわけではないですが、

南野陽子の「話しかけたかった」も名曲なので
もう少し評価されてもいいと思ってます。

ほんとにメモだけになってしまうけれど
もう少し考えて書こうとすると結局書かないので
そんな覚え書き。

そしてはてなブログの使い方がまだよくわからない。

A3!が250万ダウンロードとおっしゃるので

ここからは個人的な印象の羅列というか
今の段階での覚え書きのようなもので、
名前を出している作品を好んでいる方々を非難したり
好んでいらっしゃること自体を卑下したいという意図は全く無いです。
今後印象が変わることもあるかもしれませんし
その時に書き留めたいと思ったことをなるべく
忘れないうちに書き留めていこうという
気持ちだけで書かれています。

以下、
何となく自分が触れさせてもらったアプリゲームや
フィクションや何かについて。

A3!が250万ダウンロードとおっしゃるので
ふと色々考えました。
A3!は本当に今のところ始めたばかりで
しかもたまに少しずつ進めるくらいなので
知らないところも多い時点で書いています。


同じフォントを台詞等の表示に使っている先発女性向けアプリ
(こちらも以前から個人的にも触れさせてもらっています)は
150万ダウンロードありがとうと言ってたような。

A3!は事前登録ですでに50万いったと公式はおっしゃっている。
A3!は後発アプリであるため
正直な印象をいえば
フォントやUIやシステムその他は
色々ほかの先発アプリを参考にしまくった形跡を感じましたので、
そうした積み重ねの成果ともいえるのでしょうか

別に参考に
(ややし過ぎているきらいは感じますがそれがどうと言いたいわけではなく。
どの作品においても
ヴィジュアルその他に無断盗用や無断トレースだったり
話や文章を完全に模倣している点があれば それは問題にされるべきでしょうが、
そうではないでしょうし)
するのはいいのだが

A3!はストーリーが
貧乏で団員がいなくて潰れかけた劇団を立て直す 筋立てらしいのに
その状況で客もまったく入っていないのに
立派な寮と専用の劇場をずっと持っていた設定が
いきなり個人的に厳しかったです。

そんなに時間を費やせておらず
今のところさわりをやっと読んだくらいのところで、
この先のストーリー展開によってはわからないが、
とりあえず都合のよすぎる状況設定は フィクションといえど
都合のよさを越える説得力がないとちょっと受け入れがたい印象です。

他を例に挙げるのが適当かはわからないが
中学生でプロになる前からいきなり
亡くなった叔父の立派なマンションを仕事場として
自由に使えるようになった バクマン。ですか

練習スタジオを借りたりする必要もなく
楽器購入の苦労もなかったらしい
(きちんとみたことがないので細かくは違ったらそれは申し訳ないです)
けいおん!ですか

セガの女性向けアプリの
夢色キャストなども いきなり主人公が
冒頭からミュージカル俳優の素敵な男性キャラクターたちに
あまりに偶然棚ぼた式にシナリオの才能を認められて
その才能を彼らに強く求められる、だったので最初から無理で
そこからやってもいないので(読み進めるのが無理でした)
評価を下すような権利もないような状態でしょうが。

繰り返すようですが
上記名前を出している作品を好んでいる方々を非難したり
好んでいらっしゃること自体を卑下したいという意図は全く無いです。

A3!は主人公は 一応役者もしてたが才能がなくてやめたので
裏方になっていく?という
物語が始まるまえの経緯があるようですから
もう少しは読んでみようとは思ってはいます。

受け手としても 厳しい現実など
フィクションで見せられたくないというのはあるでしょうし、
作り手としても そういった厳しい現実を盛り込みつつも
フィクションとして昇華するなんてことも
あまりに難題なので仕方ないこととは思うのですが
触れていてどうしても眉間に皺は寄ります。

また見解が変わったり
思うことがあったら書き留めたりしたいと思います。



しかしまだはてなブログの使い方に慣れていないです。
おいおい慣れてゆきたいです。