平成最後に

年齢でいちいち判断されるのは
あまりうれしくもないし面倒かなあと思うので
年齢はぼかしておきたいものではあるのですが、
ぼかすのも結構めんどくさくもあるので
この日に書いておきますが

 

自分は団塊ジュニア世代に属するものでした。
団塊ジュニアとはもう少し広い世代かと思えば
よく調べてみれば結構限定されている年代でした。
こんな短いあいだに生まれなければならなかったなど
大変な呪いです。

団塊ジュニア以外の世代に属するかたは
団塊ジュニアに関するWikipediaでも読んでくだされば
と思いますが
こう言ったら何ですが多分理解はしづらいとも
感じます。

 

棄民世代とも呼ぶとはなかなかな言われようですが
大変納得できる部分もあって最悪です。

昭和でも
平成でも
その世代ゆえに過ごさなければならなかった
全ての体験が呪いのようです。
子どもが多い、若者が多い、とされている世代の
扱われようの粗末さを、
そういった世代にあたらない方々も
ほんの少しだけでも
想像してくださればと思います。


戦争があって高度経済成長期があって、
その少し後くらいに育たなければならなかった
団塊ジュニア世代にあたるものとして、
自分の味わってきたすべての呪いのようにしか
思い返すことができない体験を
大人になって考えるほどに、
戦争が悪いとしか思えません。
そうでなくても戦争は絶対に「悪」である
といつでも絶対に考えていますが、
高度経済成長期の少し後に
団塊ジュニアが育った体験もやはり
歴史を不勉強なりに考えてゆくほどに
戦争が悪いとしか思えません。

なので、だからこそ、
戦争がないまま終わった平成を
素晴らしいと心から思います。

 

思想の右も左も個人的にないですし、
天皇家をゴシップ扱いして語ることを好む層と
いうのはいつでもいると感じますが
自分は何も偉くもないものの
そういう見方は趣味が悪いので
したくないとしか感じません。
また天皇制の是非もあるのだろうとは感じますが
それに対する確たる考えが自分にあるでもないです。


そんな自分でも、
声を震わせて感慨をもって
戦争がないまま御代を終えようとしていることを
感謝と共に語っていた天皇陛下の姿には、
感じるものがございました。

 

そして戦争という形を
国として一度もとらないまま終えた元号
絶対に誇ってよいものであるし
湾岸戦争や平和維持活動と共に思い返し
考えてゆかなければいけないと考えつつも、
国として戦争という形を選択しなかった
平成はとにかくことそのことに関して
絶対によいものであったと振り返ります。

昭和に戦争があり
高度経済成長期があり
そのあとに育っていかなければならなかった
団塊ジュニアだからこそ
そう思って振り返ります。


もっと整理して書かないといけないでしょうが
今はとりあえずこれを書き残します。

 

 

pakirapakira.hatenablog.jp

 

ほぼ人生初めてのペットだった文鳥を失って
ままなっていません。

命を失った文鳥が一番つらかっただろうけれど

いわゆるペットを失った際の飼い主の喪失感は
飼い始める以前からも
そして飼い始めてからも
ずっとずっと怯えていたものだったけれど。
実際まったくどうにもならない。

どうして失ったかについて書くと
「厳しいことを言うようですが」と言って
自分の優位性かなにかを示したい方が
出てきそうで少なくともまだここには書けない。

この辺境まで探し出すこともそうないでしょうし
ほぼ誰に見られるブログでもないですが、
公開している以上それも考えには入れておきたい
というところも常にあるので。
勝手に予防線を張って考えているだけにしても。

動物のことに限らずなんにせよ
自己反省の弁を述べている相手に、
自分が偉いことだけを示すかのように
持論というか大体は一般論を
正義のようにかぶせてくる人のことを見るたびに今では、
厳しいことを言うようですが屋さんかなにか、
と頭の中で呼ばせてもらっています。

このことについては考えるところも大分ありますが
ここで上手くまとめられそうにないし
話が逸れてしまうだけなので置くとしても。

放鳥中の事故に類するものと認識していますが、

小鳥を飼う方のしばしば聞く事故例として
床などに小鳥がいるのに気づかず自分(飼い主)が、
というあまりにも痛ましいケースがあり
それもけしてないようにと恐れていましたが、

こういうことがあると想像もしない形で
失うことになりました。

本当に愛らしい存在でした。
その小さなからだのなかに
命が確かにそこにあることに
新鮮な感動を更新していくようでした。

文鳥が亡くなった日に
動物病院で紹介された
動物専門の霊園もありましたし
それも含めて自分でも調べ、
幾つかに電話をして検討して
決めたところに
なきがらを連れてゆきました。

そのはなしはまた書けるときに書くかもしれません。
少しずつ整理するために書き留めています。
文鳥のことに限らず文章で書くことで
整理してゆきたいためのブログですが
こんなことは書かないで済ませたかったです。
いつか失うことがほぼ定められた存在としても
もっと長く生かしてあげられなかったことを
悔やみきれませんし
そうでなければいけないので忘れず考えて
その考えを整理するために
またここにも文章にもしていくかもしれません。

まだ何も整理できず
日々その不在を思い知らされています。

文鳥はとても素晴らしい動物で

飼い始めて一年一か月を越えたあたりの
文鳥を亡くしました。
昨日2019年2月4日のことです。

桜文鳥でした。
胸のあたりは
桜文鳥の桜の名の由来を思わせる
薄いもやのかかったような
白とグレーとセピアが混ざって
模様を作っているような柄になっていました。
頬にも白の中によく見ると少し
薄くセピアの小さな点のような部分が
いくつか混じっていて、
尾羽は墨を流したようなというほかない
深みのある色の黒でした。

子どものころ
ペットを飼えるような育ちをしていない自分にとっては
生まれて初めてのペットと呼べるような存在でした。

どの子にも
うちに来るよりいい生涯があるだろうから
自分が命を預かったりしてよいのかと
何年も何年も考えて、
それでもどうしても文鳥と過ごしてみたくて
決心してペットショップに何度か下見に行ったりして
連れてきた文鳥でした。

連れてきたときは毛は生えていましたが
まだ雛で自分だけで餌を食べることはできず
最初の二週間ほどは
雛用の餌を作り専用の器具を使って
私の手で与えていました。

飼い始めてからは
やはり来てもらってよかったと日々思うことばかりで、
毎日毎日愛らしい様子や、
生えかわって桜文鳥の色が出てきてからは
天然の羽や毛並みの美しさにも、
いつもいつも新たな感嘆のようなものを覚えて

この子がいなくなったらどうしようと
ほぼ常に思っていましたが
それでも文鳥の平均寿命を考えて
それはまだ先のことだと思っていたのに

それがずっとずっとずっと早く来てしまい。


家にいる時にもう動かなくなっていて、
昼休みに入ったころの時間外でしたが
調べて電話で複数問い合わせたら
連れてくるよう言ってくれた近所の獣医さんに、
他に手段もないので徒歩で
文鳥を包みケースに入れてカイロをあてて
連れて行きました。

でもただ確認のためだけに行くことにしか
ならないだろうとは思わざるを得ない状態だったので、
ケースの入った袋を両手でかかえて、
文鳥への謝罪の言葉を繰り返しながら、
日頃からの体力と鍛錬のなさゆえに鈍重な足を
それでもなんとか自分なりには早く動かして、
転がるようにとでもいった様で向かいました。

電話を受けて待っていてくださったお医者さんは
初診だったので問診票を書くよう言われ
書きながら文鳥をまず先に診てくださらないかな
でももう確認だけだとお医者さんには分かっている
状態だからなのだろうなと絶望を頭の中で何度も確認して
問診票を書き終えお渡しして、
お医者さんがじゃあ診てみましょうかと
聴診器を当てて
心臓が止まっていて死後硬直も始まっていますね
と教えてくださいました。

見ている時に動かなくなって
それから慌てて行動しているはずなので
まだそれから一時間ほども経っていないかと思うのに
そんなにも早く死後硬直が始まってしまうのかと、
それもこんなに小さな体ゆえなのだろうかと、
思われてまたやるせなくもなりました。

もっともっと長く生かしてやれなかったことが
文鳥に対してとても申し訳ないですし、
小動物という生き物の弱さというかを
もっともっと深く熟知までしてあげていればと
思わずにはいられないです。
そしてあの愛らしいことこの上ない生き物が
もうこの世にいない生きていない事実を
とても信じられないです。

帰宅したり部屋の扉を開けるたびに
聞こえるあの鳴き声を、
いつも扉を開けようとするたびに
一瞬身構え待ちかまえる癖がついていたので、
なきがらを連れて帰った時も扉を開ける瞬間
反射的にその気持ちになってしまって、
それですぐに
それはもうないのだということを
思い出し思い知らされました。
これはしばらく続くことに決まっています。

扉を開けて
カラのケージを見て
号泣せずにいられるわけがありませんでした。

 

文鳥はまた飼いたいです。
文鳥はとても素晴らしい、
本当にとてもとても素晴らしく愛らしい
生き物でした。

飼い始める前からも
飼い始めてからも
きっとこの文鳥さんを失ったら
また別の文鳥を求めるようにならずにいられないだろうと
覚悟のように思っていました。
同時に失う日を想像してはただ恐怖してもいました。

たとえどのような経緯であろうと亡くしてしまえば
その命を失わせてしまったことを
保護する立場として後悔もするだろうし、
こうしてやればああしてやればと
思わずにいられないだろうし、
とにかくそんな日が来るのが恐怖でした。

想像よりずっと早く来てしまったその日に
なきがらの供養の場所や方法の選択を
調べながらまだ何も信じられていない自分を感じます。
これからずっと重ねて
その不在を思い知るであろうことも
容易に想像がつきます。

いまは文鳥や小さな動物を亡くした方々が
その後の日々をどのように過ごされたかなどを
ネットで検索せずにいられないので、
この文章もいつかどなたかのわずかなりともの
安寧の一助にでもなればとも思います。

普段のこのブログ内での文章は
取っ散らかり以外の何物でもなく、
今は自分の生い立ちの整理をするために
書いているような部分もあったりと、
何にせよとうてい愛らしいペットブログなどではないですが

こういう者もいて
小動物を飼って失ったという
ネットに散らばる文章として置いておかせて
もらいたいです。

2019年

2018年の年末は、
ミス〇〇の「君が好き」以来の
嫌いと言いきれてしまう曲である、
西〇〇ナさんの「トリセツ」から逃げ回り、
(世に溢れている曲が
好きなものばかりなわけはないのですが、
正直全然好きではないが嫌いとまではいかず
「どうでもいい」と思えてしまう曲のほうが遥かに多いので、
ここまでこう直接的な嫌いの感情を催させるのも
それはそれで凄いとは思っています。
また自分は流行には疎いものの
かの曲が今年の曲でないのも一応知ってますが
年末にテレビで歌唱シーンに出くわすことが
多かったので)

2019年の年始早々は、
自分の
J事務所を何となくずっと俯瞰して
観察、というと適切でないですが
その在り方を興味深く眺めさせてもらっている
といったようなスタンスを、
折に触れて話して来たので
もう少しは理解されているかと思っていたら、
全然全然理解されてないことに
気づかされたところから始まりました。

笑い話ぽいですが
それだけ取れば笑い話なんですが
そこまでの道のりみたいなものがあるので
そう笑い話でもなかった感じですが、
割と諦めている自分もいたので、
勝手に期待したらいけないよな
のところもまた再確認した感じでした。
まあ個人的にはそこまで楽しくないはなしです。

 

そこでたまにははてなのお題というものに答えて
記事を書いてみようと思いました。

上でざっと書いている項目も

※なぜ上のような曲が嫌いか

※そこそこの年月のあいだ
 どのようにJ事務所を興味深く
 眺めさせてもらってきたか

などをもう少しは突っ込んで書ける機会を
増やしてゆきたいということを
今年の抱負のひとつにしておきたいです。


J事務所を観察というかをさせてもらっている
スタンスを常々語っていたにもかかわらず
理解されていないことに今更気づかされたついでに

そのようなスタンスならばせめて
外に向かって少しは書き残したら
と言われたので

自分でもまあどなたの目に触れるでもないにしても
そんなようにはしたいと思いつつ
できないことも多かったので、
もう少しは増やしてゆきたい
できるうちに少しでも、
と改めて感じたことを抱負のひとつとして
挙げておきます。

 

気持ちだけの話なんだな

最初に念のため書いておきますが
当然ながら以下の文章は、

まともな身内を亡くされて
喪中であるといったかたに対して
どうこうという話をしたいわけではないです。


前の記事に書いたようなことで

自分のただ一人の親として
そいつを頼りにするしか
生まれる前から他に何も誰もおらず
育たなければならなかったけれど、
よりによってそんな立場の者が卑劣な屑で
どこにも逃げ場がない子どもに対して
そいつが周囲も巻き込んでしてきた所業は
こちらも大人になってから振り返ると、
口にするのも総毛立つような嫌悪しかない、
そういう者が死んだらしいので

親であることを
戸籍などでなかったことにしてはくれないので
世間はそれを親として扱う以上、
喪中にする場合はするんでしょうが
当然する気がない。

弁護士が送ってきやがった
(この言い方に問題がないわけでないでしょうが
こちらの人生を生まれる前からずっと踏みにじってきた者に
仕事と割り切って加担できるお仕事のかたに
私が好印象を抱かなければならない理由もないですし、
勝手にあばかれた住所に弁護士が郵便物を何度も送付してきて
そのたびに受取拒否しているのでこの言い方になるのも
個人としては当然のことでもあります)
電報を、これはそういう場合はどんな電報になるか知りたくて
単に興味だけで何日も遅れてから受け取ったけど、

誰が喪主になったのかもわからない
葬式もしたようだが、
それらを思い浮かべると
細かいことを想像したり考えたりしそうになる。
しかし誰も真実を知ろうともしていないのだから、
私がそれらの風景を考えたところで自分の生涯に有害すぎる。

それにしても弁護士のすごいところは、
隠している住所を
勝手にあばかれた人間の感情など
もちろんかえりみず
「仕事」として郵便物を何度も送ってくるところで、
すごい仕事だと思う。
もちろん必要な職業だが。

とにかく喪中とかって
気持ちの問題なんだなと再認識したはなし。

虐待親が死んだという話をメモ

 


 --------------
 急にこんなことを書くのもなんなのですけども
 自分は
 血縁上の肉親が他にどこにいるかは知ったことではないですが
 実質上は肉親が一人しかいない母子家庭で育って

 そのたった一人の肉親である生物が
 今で言う毒親とかそういう言葉で表してしまうには
(その言葉の元になった『毒になる親』は
 読み切ることができないほどに名著ですが)
 今の「毒親」という言葉の使われ方を見るにつけ
 とてもそれを使う気にならないのですが

 そういうような親であったというかで、

 そいつと二人きりの家庭で
 そいつだけを頼りに生まれて育たなければならなかったので

 自分の現在の認識としてそいつは、
 誰も気づかず
 おおよそ私が申告でもしない限り法にも触れず
 私以外は誰も困らない
 しかも病気等で本当に困難にある方々とは
 全く別の状態で、
 当然自覚もないので本人は全く困らないまま
 誰も裁けず野放しになっている異常者、
 です。
 でした。

 忌々しいことに戸籍上やあらゆる手続き上で
 そいつが親でないことにする方法がないので
(どこかに養子縁組をする等の方法が
 いまの自分には現実的でないので)
 何かそういう屑以下の存在としか認識していないが
 何も知らない他人はそれを私の母親というところの、
 その生物が死んだという知らせがあったらしいという話を
 今日聞かされたのでそれをきっかけにここに
 書き留めています。

 らしい、なのは私は便りも受け取らないようにしているからで、
 他の人からそれを知らされて詳細を確認はしていませんし
 そもそも詳細を知りたくもないし
 こうむらなければならないようないわれのない
 面倒も要らないですし、
 一切関わらないのを今後も続けたいというだけのことです。


 とりあえず人生でありえないほどとんでもない時に
 踏みにじられるべきでないものを踏みにじられ
 台無しにされたなんてものではないことを経て、
 さらに改心を求めても
(改心に限らず何かを求めることが意味のない相手であるので)
 到底得られるものでないと悟るほかなかった、
 そういう経緯の果てに
 そいつを自分の人生から無関係にしていくしかないとなって、

 それでも、
 縁を切る、ということは
 本当は手続きでも公的文書でもそれを明らかにしてほしいのに
 世の中の大部分はそれを必要としないゆえに無関心なので
 そんな制度は出来ようはずもなく、
 縁を切ると言っても
 自分が離れて生活も気持ちも無関係で暮らすようにする、
 しかできないことが大変納得がいきませんが、
 現状それしかできないならそれでやるしかないまま
 過ごしていました。

 しかしそうして住所を告げずに引っ越しても、
 こちらはとうに成人も過ぎている独立した存在であるはずなのに

 一度は卑怯としか言いようのない手段で
 他人をだまし住所を聞き出し、
 押しかけてきてその時にこちらが留守だったからといって
 隣の住居の人に私の様子を聞こうとしているところに
 ちょうど私が戻り追い返したけれど、
 いかに自らが正当な理由から正当なことをして
(住所を卑劣なやり方で突き止め押しかけ
 隣の家の人にまで恥をふりまいた挙句に)
 いるかを主張され、

 住所を突き止められている不快を抱えながらも
 引っ越しなどそう簡単にできるものでもないので
 しばらくはそこに住んだけれど、
 そののちにきっかけがあって全く別のところに引っ越し、

 それでも
 一年もしないうちに新しい住所も
 何らかの手段で突き止めたのでしょう、
 思い出しても吐き気がしますが急に書面が送付されました。
 そいつからの文書はとにかく郵便であれば
 開封など一切せず受取拒否で送り返す、
 以外の選択をしないので、
 内容は知る由もないです。
 しかしポストにその封筒が入っていたことだけでも
 思い出すだけでも吐き気がしますし
 塩でも消毒液でも撒きたいことでしかないです。


 急に差し込むような話ですが
 私は昭和のまあどちらかと言えば(すごくどちらかと言えば)
 終わりのほうの生まれなんですが

 自分が生まれてある程度の年齢までを
 過ごすしかなかったその時代に対して、
 愛憎でいえば憎のほうにだいぶ偏るけど
 とりあえずあんまり良くないところ、
 こどもに対する世間の扱いであるとか、
 自分ではどうしようもないことなどを
 平気で差別する今現在ではありえないような
 価値観がまかり通っていた無神経さなど、
 そういった部分を持っていたその時代を
 経年したからといって過去になったからといって
 絶対美化などさせやしない、という気持ちは
 強く持っています。

 もう平成で過ごした時間のほうがずっとずっと
 遥かに長くなったけれど、
 生まれてからいわゆるところの物心つくまでの
 時間を過ごさなければならなかった時代の記憶は
 それなりにどうしても強いものだと
 昭和を思い返すと思い知らされるようです。

 昭和どころか平成も終わろうという頃
 そいつが死んだことに特に意味を見出す気にもなりませんが。
 一切の記念的な考え方を適用する気にならない相手なので。

 死んだと聞かされても、
 塩を撒きたい気持ちにしかならない書面を
 住所を勝手に探られ送付された時から、
 ご自慢だった筆跡のきれいさとやらが
 感じられないぐにゃぐにゃした文字で
 封筒を書いてきたのを見たときから、
 そいつはそういうことで他人の同情を引きたがって
 ただ一人の自分のこどもを陥れて
 自分を正当化してきたのでまた、
 こんな字しか書けなくなるほど弱った自分
 アピールもあったんでしょうが、
 まあご自慢の筆跡も乱れるほど具合悪いんなら
 死ぬんじゃないのとも思っていたので、
 順当にそうなった確認であって、

 せいぜい天涯孤独で惨めに
 なるべく長く惨めさと苦痛を味わえばいいと
 思っていたものをそうならないものだね、
 といったところです。

 葬式等するのかすら知りませんが
 家族もないのに誰かが葬式をしようとしてくれるというなら、
 天涯孤独で惨めさを味わって死んでくれなかった証明だとすれば
 不愉快だなあというか。

 でも平均寿命まで全く到達もしなかったようなので
 そのあたりに天の采配などは見出してもいいのかもしれませんが、
 とりあえず気持ち悪いので考えるだけ不快だし面倒です。

 そんなことを考えるくらいなら
 昨年から飼い始めた初めてのペットというかの
 桜文鳥の環境を充実させることを考えたい
 という気持ちです。

 書き留めておきたいことは他にもあるけれど
 日を追ってまた何か書いていきたいです。

 この区切りには、
 今までせめて文章に残しておきたいと思いながらも
 色々と躊躇してしまうことが多かった部分が、
 どーうでもよくなるきっかけくらいに
 なるならまあそれはそれで、と今は思いますが

 それが全てではないだろうし
 また他の日には自分がどう思うかも分からないので
 何かまた変化があるなりで書き留める機会を
 持ちたいと考えているところまでで今は。

 もう少し要点を絞った文章を書く練習もしつつ
 数を重ねられたらいいという願いと共に。

あんスタは

 

人気作品ゆえに色々なファンのかたがいるに違いなく、
もしたまたまこれが目に入られても
色々思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

この記事に限らず
ここでの文章で扱うことがあるものに対して
その作品を好んでいるユーザーのかたを
おとしめようという意図は全くない、
所感であることを強調して前置いたうえで、
連ねさせてもらいます。

 


 

 

多分なんですけれども、

人気アプリの「あんさんぶるスターズ!」は、

アイドル活動を描くことに相当興味ない書き手

(メインライターがどなたかは明記されているので

存じ上げています)のかたが、

フィクションの中では定番の設定の一つでもある

「とても大きな権力を持った生徒会」

などでまかなえる内容であるところを、

時流とクライアントに求められたがゆえに

アイドル設定になったんだけども、

すごく開き直って生徒会で置き換えられる内容を

描き続けるというある程度の潔さによって

通常のアイドル設定では生み出し得ない内容になった

アイドルものという新鮮な状態で

お送りされているのかなと理解しています。

 

とても正直に言うと

個人的にはフィクションでも

スポ根ぽいアイドル物語は好きなほうなので、

この人たちは一体いつ部活や生徒会活動でない

外に出てファンの前での反応を得て

それを自分に反映させていくような

アイドル活動をしてくれるのか

と期待して読んでしまっていたため、

 

この話はそういう内容ではないのだな

生徒会ものと思ったほうが適切なのだな、

と理解するまではもどかしさはありました。

 

アイドルものだったら

ファンの存在は何だかんだで欠かせないものでしょうが、

あんスタに関しては飽くまでも

生徒会がそのままアイドル活動になった内容

(としか従来の価値観で読むと個人的には思えない)なので、

ファンとアイドルという関係を切り捨てていらっしゃいます。

なのでどうしても

アイドルものを求めてしまうと齟齬は生じるところです。

 

最近はほとんどログインもできていないので

アプリの展開に変化などがありましたらこの文は、

大層、的外れになるかもしれませんが、

ある時点までの個人的な所感を覚え書き。


 Google Play で手に入れよう

http://pc-play.games.dmm.com/play/ensemble_stars/ (DMM版)

 

 

※※※
同じ内容を練習も兼ねて
カクヨムにも投稿していることもありますが
転載ではないことを念のため明記しておきます。

 

UP-BEATというバンド名からしてとか色々書きたいのですがまたまとまらない

 

HERMIT COMPLEX

HERMIT COMPLEX

 

 

 UP-BEATについて書きたい。
そのうち書きたい。
ほんとはちゃんと書きたい。
失礼のないよう、かつ真摯に書き留めておきたい。

その気持ちだけは折に触れて
年に一回とか二回とか湧くんですけれども。

何ていうんでしょう。
ぼかしておきたい年代がまた駄々洩れるんですが
私ファンクラブに入ってたんですけども。
それ自体は別に何も恥じてないですが。

よくあるはなしでしょうが、
当時の自分を思い出さずに
バンドのことも書けないだけに
なんていうかもう遠い目になってしまうと言うか。

年月を経ただけで今も割とそのような思考回路というかなのですが、
当時も理屈だけ頭の中でこねくり回してしまう若者だったと思われるので
特によいことも悪いことも表立ってしたりしていませんでしたが、
そのときの気持ちを思い出すだけで
言いようのない感覚だけがふわああああって。
はー恥ずかしい。
ありふれた感じに恥ずかしい。

バンドは恥ずかしくないです。
そしてUP-BEATを思い返して
色々思うところはあるので、
好いと思うところと
こういうところはどうだったんだろうかな
こうなるとよかったりしたのかな、
など書き留めたいのですが。

思い入れもあるかたもいるでしょうし
色々失礼ないように、
ファンクラブまで入っているくらい好きだったからこそ
所感を書いたりしたいんですが。
どうも考えるとバランスを取っては
書けそうにないところが多くて。

敢えて書くなら
シングルはそうでもなくても
アルバムの歌詞はやや頭でっかちな傾向があるかもしれないと
年がやたら若かった自分でも思っていました。
インタビューなども雑誌や各媒体でやたら読んでいる頃でしたので、
それも色々仕方ないことなんだろうなとも思っていましたが。

佐久間正英さんの存在をこのバンドによって知って
プロデューサーとしてのおびただしいとすら言えるお仕事の数々だけでなく、
過去が四人囃子プラスチックスなのは凄すぎではないか
と思ったり色々邦楽も遡ったり、

洋楽は元から個人的にも好きでしたが、
このバンドのボーカルの方が
洋楽への造詣を披露してくれる
ラジオ番組なども熱心に聴き、
自分の知識も増やすきっかけに
だいぶさせてもらいました。

シングルでは「DEAR VEANUS」が
当時一番好きだった気がしますが
今でもシングルではこの曲が好きかもしれません。

「KISS IN THE MOONLIGHT」も、
そしてデビュー曲の「KISS… いきなり天国」も
(タイトルはそういう時代だしと飲み込みつつも)
当時のままならない世相も絡んで
色々ご本人たちには一言で言い切れない
印象もあった時期もおありと推測はするものの、
そしてアレンジやコーラスなどは今現在聴くと
時代を感じすぎる部分があるのは否めませんが、
曲自体は好きです。
「KISS… いきなり天国」はUP-BEATというより
曲を作った大沢誉志幸節が強いですが、
なんつうかアレンジ含めてパッケージされた感じも
素人耳で聴いても味わいがあるというか。

どの曲もメロディアスで
でも全体の仕上がりは
ポップな楽曲でも軽さに傾きすぎないあたりも
好きだったのかなあと今は改めて思ったりします。
どの曲にも言えることとしてイントロもかっこいいです。
洋楽の影響はたしかに色濃く顕著過ぎる
というか失礼ながら
素直に出し過ぎているかなという時もかなりあるので
正直赤面する時もないではなかったですが、
それでもメロディアスでポップかつ
軽すぎない仕上がりは共通していたように思います。

もうすこし当時の邦楽やバンドのことなど
絡めて書けたらいいのでしょうが、とりあえず
今はここまで書き留めておきます。

 

 

Respect UP-BEAT x Justy-Nasty 2017.3.5 LIVE AT ASTRO HALL [DVD]

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HAMMER MUSIC

HAMMER MUSIC

 

Amazonの試聴は、
音をぶつ切りにするのと

試聴にしてもいくらなんでも音が汚いのはどうにかしてほしいです。
他の音楽販売サイトと比べても明らかにひどいのはどうなんでしょうか。
どうしてなんでしょうか。

 

Aztec Camera

もうずっとクラゲを眺めていたいくらい暑い。

 


Aztec Camera - Somewhere In My Heart (Official Music Video)

 

間違いなく猛暑のせいですが
ここ数日、Aztec Cameraしか聴いていない。

失礼な言い方になっていたら恐縮ですが、
今回も聴いている曲に関して
リアルタイムでないので個人的な思い出は特にないです。

以前思い立ってAztec Cameraを聴いてみようと
改めて有名なアルバムなどを遡ったら
知っている曲ばかりだったので、
日本でも実際に人気のある存在で
知らないうちに耳に入っていたんだなあ
と遅まきながら感じ入ったことが
個人的な印象としてあります。

とにかくもう今は
暑すぎる時にふさわしいように思えて
自然に想起されたこのサウンド。

 

Knife

Knife

 
High Land, Hard Rain

High Land, Hard Rain

 

 


ロディ・フレイムさんの歌詞が
そう爽やかでないのは一応存じ上げていますが、
題名もいいなあと改めて思えてもう
暑いからもうほんとに
ずっと
Somewhere in my Heart
Still On Fire
All I Need is Everything
Oblivious

もうずっとリピート

歌声は正直あまり好きでない感はあるのですが、
そして曲の題名は好きですが
雰囲気というか内容というかは
青春としてもあまり個人的な趣味には合致していないかなーという
タイプのネジくれ加減も感じるのですが、
(そしてそれはもしかしたらAztec Cameraだけのせいでなく
よくあるはなしでAztec Cameraに限らず
コアなファンのかたを形成している存在には
どうしても仕方ないものとして、
ファンのかたの雰囲気や語り口からつい
ライトな支持層や新参は敬遠してしまうこともある、
というような
類いのものかもしれませんが)

とにかく
このソングライティング?アレンジ?
なんなのもう
夏にふさわしすぎるんですけれども
透明感?なんなの?

はーこれで当時大変年若かった
ロディ・フレイムさんはほんとにすごいよなー
と時折その存在を思い返しては
改めて感じるわけなんですけれども。

あー
2018年が猛暑で
何だか自然にAztec Cameraしか聴きたくなくて、
しかも上にあげた曲ばかり
この七月に聴いていたことを記録しておきたいです。

 

 

拍手ありがとうございます。
意味ないと思われるかもしれませんが
とても励みにさせてもらっています。
反応があるとないのとでは本当にとても違うものなので。
ありがたいです。

 

 

The Best of Aztec Cameira

The Best of Aztec Cameira

 

 

遠くから被写体を映し台詞が明瞭に聞こえない作品、でない日本映画がいつかカンヌで受賞できたらいいと思う

是枝裕和と河瀨直美の作品を
きちんと観られたことがないので、
何度も観ようとはしたつもりですが
耐えられないので、
この方々の作品への理解が全く足りていない
文章になっているであろうことを
前置きさせてもらいます。
そのうえで以前から感じていたことを
書き留めておきたい。



自分の
是枝裕和と河瀨直美への評価は低いというか
ほぼ評価はないです。

そもそも言ってしまうならば
映画だと思ってはいない。

でも観たぶんだけの印象でいえば
映画に憧れて作られた映像であるだけのように
見えてしまって恥ずかしい。
これは彼らの作品だけに限らないことなので
彼らの作品だけをあげつらう気持ちもないのです。

また是枝裕和も河瀨直美も、
それぞれの映画監督になるまでの経歴なども
大分異なるものですし、
作る作品も大分違うものなのでしょうが、
カンヌがどうやらそれを好むうえに
残念なことに自分はどうしても彼らの作品に
耐えられないという共通点だけで
今回は書いています。

個人的には彼らの作品を観ようとしても
途中でどうしてもどうしても耐えられなくなって
きちんと観られたためしがない。
なので評価をする立場にない。
ただ自分の感覚としてとても観るに堪えない。

脚本とか台詞とか演技指導とか
台詞がよく聞こえないところ更には
それをリアルだとでも言いたげと
感じてしまう演出などなどが
とても苦手なんだろう。
それでどういうわけか彼らは共通して
家族家族、と大声でおっしゃるのが
自分にはどうしても耐えられない。

でもきっと国内で人脈なりを作るのは
上手な人たちで
それはきっと本人たちが努力した結果だとも
感じます。嫌味ではなく。

作品作りだけがストイックに上手でも
世間に出られるものではないとだけは
どの分野でも言い切れる。

是枝裕和にせよ
河瀨直美にせよ
彼らの作品を、
カンヌや外国の映画祭で評価されたから以外の理由で
自分自身が心から評価でき、
そして作品の内容が自分の肌に合うと感じ
感動なり何か気に入ることが出来る方がいるなら
それはそれで素晴らしいことで、
私などには見えないものが見えているということなので
とても羨ましくも思います。
これも嫌味でもなんでもなく。

それに外国で評価されることは
文句なしに凄いことだと思うし、
日本として誇るべきで
貶めるべきでもない。

なのでカンヌが
遠くから人間をカメラで撮ってて
台詞があまり聞こえない、
それが日本的と捉えているらしい様子なのは、
なんでそうなるというところですが
小津安二郎がそうだというならば
それは正しくないと個人的には感じます)
それはそれとして、

そうでない映画も受賞できるようになったら
嬉しいです。

溝口や小津がどうして外国で評価されたのか
の部分が私が思うのとは大分違っているんだろうとは
常々感じていましたが、
カンヌで受賞できる日本映画の近年の作品を
見るにつれ(耐えられないので観たとは言えない)
外国の方々に見えている部分は
どのあたりなのかに対する不思議な感覚が
どんどん強くなる。

もし外国の方々が
自分には本質ではないように思える部分で
小津安二郎の幻影を日本映画に求め続けるのだとしたら、
それはとても残念なことです。

個人的には小津安二郎は好きです。
いや正直に申し上げるならば
たぶん東京物語くらいしか分かっていない。
でも東京物語
最初にテレビで観た十代くらいのときも
更に大分経って最近また観たときも、
何度観ても同じところでやるせなくなって
同じところで泣いてしまう。
いまこの文を打っていても脳裏に、
原節子笠智衆
私ずるいんですと涙して
そのあと長い長い台詞で心情を吐露し、
笠智衆が、やっぱりあんはええ人じゃよと
返している場面を脳裏に描いて
目の前がぼやける。
あれこそが今の言葉で言うなら
刺さる台詞と感じます。

東京物語のなかで
決まってやるせなくなるのは
もうほぼ言うまでもなく
杉村春子演じる長女の自営業の家に泊ったときの
老夫婦の扱われようでありますが、
まあ今や驚くべきことは
父親役の笠智衆
長女役の杉村春子の当時の年齢の差が
とても小さい(二年しか離れていない)ことでしょう。

それでもって
東京物語に話がずれたものの、
私が望むことといえば
いつか遠くからカメラで被写体を映して
台詞が明瞭に聞こえない映画でない作品が
日本映画としてカンヌで賞を取ったらいいなあ
ということくらいです。

タルコフスキーが好きなので、
カンヌ映画祭で選ばれる作品が
個人的に必ずしも肌に合わないということは
ないのではないか、と自分では感じています。

だから自分にも耐えうるタイプの日本映画が
いつかカンヌで受賞してくれたらとても嬉しい
という個人的な気持ちです。