けいぞくしたい

継続したい。

アバウトタイムのレビューについて_特に追記以下はお読みにならないほうが良いかたもあるかもしれません

 

 

全体的にどこでも大変高得点で人気作で、個人的にはどうしてもそういう気分を抱けないので、レビューなどもできないでいました。
が、たまにはきっと違う意見も聞きたいと個人的には思うくらいなので他にもそういう映画愛好者もいるんじゃないかと思いたい、のでこれを書き残してみます。

この映画を大好きで、低得点をつけるような他の観客の意見など絶対に見たくないというかたは、目を通さないことを強くおすすめしたいです。
この映画を好きなかたを否定したい意図はけしてありません。
映画の感想以上のものではありません。

以下、いつも怯えて考えながら書くと伝わらない迂遠な文章にしかならないので、なるべく推敲し過ぎないで書き残していきます。

主人公の目線だけに完全にフォーカスしてその都合だけに共感しきれるならば、よくできた話じゃないでしょうか。
その視点に徹して楽しみ切れるならば、きれいにまとまって美しくパッケージ化された作品です。
でも映画とはフィクションとは芸術作品娯楽作品とは、そういうものではなくあってほしい、もっと普遍性を広く強く含有しあらゆる視点を俯瞰したうえで話や全体を練り上げて成立していてほしい、と普段から常々思っている立場からしたら全て無理でした

細かい設定などの詰めは気にしだすと最初から最後まで気になる部分はずっと終始ありますが、そこはタイムトラベルものとして設定の詰めに囚われ過ぎない気にしない、雰囲気やストーリーの骨組みの作品はあっていいと平生から思っています。
テンポもいいしそこらを気にしないで進みますよ、という勢いはあったので、タイムトラベルなどの設定や整合性はそこまで問う気にはなりませんでした。
が、そこらではないストーリーや登場人物設定や人生や人間の描き方が無理でした。

大変ストレートに言うと作品内でこの主人公の男性がしたことの数々が個人的に見ていて本当に気持ち悪いし許しがたいので、このジャケットというかポスターの横顔で主人公が大変笑顔で映っている部分すら無理

伴侶になったヒロインも、この写真でキュートに笑わせられているけど真実をもう少し知ってほしいし、知らない状態で微笑んでいても人権無視されたことしかされてない人にしか見えなくて、観客としてつらい

こんなものは容認できない
そもそも二人の知り合うきっかけの、「真っ暗闇を楽しむ店」という場所も怖すぎるし気持ち悪すぎますが、実在するんですか。
日本で真っ暗闇の展示会を開催したら、変態たちまでしれっと集まってきてギャラリーに客として行った女性たちが知らない相手に同意もなく暗闇の中で体を触られるなどの性被害がたくさん出た、誰も責任は取らず真犯人なども分からない、被害を受けた女性たちだけがある、という事件が平成終わりかそのあたりの数年前(現在は2024年)にあったと明確に記憶しているので、そういった場所の存在を聞いただけで、吐きそうになります。が、この映画の製作サイドの人はそういう事件の可能性を考えもせず、このような能天気な設定にしたのか。欧米にはそういうことが起こりえないのだろうか(いやさすがにそんなこともないのではないかと思うんですが、そうであれば各々のどこに理由があるのかは知りたいですが)
みたいな

相手の知らないところで相手の運命も意志も自分の都合のいいように左右しておいてそれで伴侶じゃないだろだし、実の妹に対しては冷酷な運命のまま放置みたいな主人公が、
親譲りのしかも(このあまりに肌に合わない映画を観返すのが無理なので設定等の記憶が多少違ったら恐縮ではありますが)確か一族の「男性にだけ」備わっているという能力をさして制限もなく好き勝手に駆使しつつ特に負の側面も罪悪感も感じるエピソードもないまま、都合よく自分の人生だけを重視して能力を転がしながら、伴侶の運命も変えて相手を得たりこどもの命運も左右したりしながら、普段の仕事でも英国裁判官としてキラキラ充実して(ついでにここでも他の人間の人生を左右する職業なのはどういう視点で脚本を書いているのかという不快と疑問が)暮らして、人生って素晴らしいと言っている姿を見せられるのを楽しいとは思えない
というように観えてしまうのです

とにかくストーリーや設定の細部は色々気にしないでハッピーエンドの映画が観たいかたにはすすめられるのかもしれません。
近年は配信で触れるばかりになってしまいレンタルビデオ店に割と長いこと行っておらず最近の店のレイアウトを知らないものの、言ったら語弊どころか胡散臭いみたいな話になってしまうやもですが、映画を制作国だとか監督だとか時代だとかで分類して記憶する癖がついていると、以前よく目にしたレンタルビデオ店の棚の感動だとか泣けるだとかのジャンル分けが大変不思議だったので、
そういう風なジャンルの分け方で映画に接し楽しみ、生活や気分やシチュエーションでセレクトしていく仕方に、きれいに便利に嵌ってくれるタイプの作品でもあるのかもしれません。
それ自体が悪いはずもなく、私にはこのポスターというかジャケットと言うかがとても正直悪い気持ちになるのですが、この雰囲気の作り方や映画内でのシーンやキャラ、撮り方などを気にしないで楽しめる人がいるであろうこと、しかもそれが世界中にいらっしゃるのはどう考えても強い、と確信するしそのように楽しめる様に心からの羨望も覚えているのです。

とにかくnot for meなんでしょうが、こういう映画に向いておらず、しかも趣味の部分だけでなく、おそらく裕福な家に生まれ何故かその家系では男子のみに特殊能力が備わっていてその能力を使い自分の人生だけチートに仕立てて人生も伴侶を得ることや相手の気持ちすらそれで左右し、上級英国民が自分に都合の良いように他者の人生も操り身内のはずの妹すら見捨てる姿はきつい、それで父との絆と人生の素晴らしさなど謳いあげられても大変当惑してしまったし、どうしても気持ちの悪さが否めなかった、という意見や感想を残しておきたいという話です。

 

◇◇Filmarksでも同じ文章を投稿しています◇◇

filmarks.com

以下はそちらで速攻でついたコメントに驚いた追記です。
この作品に限らないことですが、どうしてもその作品が合わないという意見はネットの中ですらなかなか見られないけれど、自分の中にどうしても残る印象はあって、
それでも純粋に作品だけに対する一意見ですら文句や誹謗中傷と言われ揚げ足を取られるかのような晒され方をするのではないか、と意見を書き残し公開することに迷いが生じます。
それでもどうしても納得いかない部分がずっと残っているからこそ、やはりそれはそれで一つの考えで意見で、ましてやけして誰か個人の価値をおとしめる意図はなく作品に対する意見としてである限りは、それはあっていいものではないかと考えるので、文章を書きました。
そうしましたら想像し恐れていた通りのような反応があまりにも素早く付くことに驚き、またやはりだからこそ違う意見も必要なのかという確信になり、こちらでもレビューと共に記事投稿して残しておきます。

以下、追記分です↓↓
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※※この長文レビューを読んでいただいて感謝しますが、作品に対する異なる一意見だと思えないかたにコメントを付けて頂くの必要はないのですよ。

そういった反応を懸念して書き込めないでいた低評価感想レビューですが、いち早くコメントが付いたことに驚いて反射的に削除してしまいましたのであまりじっくりは読めませんでしたし、どなたかもよく分からなくなってしまいましたが。

素晴らしい称賛レビューをしているかたに、こちらからそのかたの人生を推し量るかのようなコメントなどするのが許されるはずもありませんし、そのようなことをしようとも考えもしません。
そして同様に一感想に過ぎないレビューに対して「考えすぎ。今まで人生でいいことなかったんじゃないの」というような、どなたか知らない間柄でお友達でもないのにタメ語でのお言葉遣いで、こちらの人生を推し量ったかのようなコメントして頂く必要は全くございません。
ましてやご自分でレビューすることもなかったユーザーのかただったようですし、それまでに全く交流もないのに急になれなれしいお言葉遣いで相手の人生をどうのというコメントするという行動は理解しかねます。
感想と意見と、誹謗中傷罵詈雑言などとを完全に混同して他人の一意見すら許さなかったり、感想に対して称賛以外は許さないような反応を恐れて、こういったレビューも書けませんでしたし、最初にあらゆる懸念をして注意書きを書きましたが、言葉がまだ足りなかったようです。

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君、花海棠の紅にあらず

www.twellv.co.jp

華流ドラマはなぜこんなにどれも大河なのか。小粒なドラマは存在しない世界なのですか。
そもそも登場人物の多さがいつもどれも凄い。
人口の多い大国ゆえに、それが作劇としても当たり前なのでしょうか。

そしてこの作品は美しい衣装、重厚な美術、演技も質が高いように思われました。
京劇パートも美しい。歌は吹き替えなのでしょうか。そもそも中国のドラマはセリフも役者さん自身ではない他の人の吹き替えであることがほとんどだそうですが。

主題歌やエンディング曲も、情感が溢れていて佳曲でした。
作品の英語タイトルWinter Begoniaというのも、また麗しいです。

商先生は苛烈ながら人間臭く魅力的でした。もぐもぐしてるところが多くそれが愛嬌たっぷりに見えてきます。商先生の役者さんの演技もたたずまいも役柄にぴったりでした。

たまたま以前に見たBSの放送時にその映画並みの重厚な映像が印象に残っていたドラマがおそらくこれで、今回オンデマンド配信で改めて見ました。49話全てをきっちり見られず、一応最終回までは見ている、くらいなので色々分かっていないかもしれませんが、一応の感想としては。
人間ドラマ部分は、ところどころではとてもよい雰囲気もあったような感覚は残るのですが、最後のほうまで主になる二人の絆が伝わるような伝わらないようなみたいな気持ちになってしまったのも事実というか。

二旦那の役者さんは大変かっこいいかたで、時代背景に合わせたクラシカルなスーツが中心の衣装の着こなしもそれはそれは素敵でしたが、二旦那のキャラクター自体にはいまひとつ最後まで移入みたいなものができず、雰囲気だけを味わうようなそんな気持ちでした。

各々の人物の背景や感情がこれだけの話数と、重厚な雰囲気の割には語りつくされないし雰囲気だけで流されてしまった部分が多いようにも感じました。

しかしこの国のドラマは最近、陳情令、山河令、を見た程度なのですが、この作品もそれらと同様にまたネット小説の実写化のようなので、中国のネット小説の扱う世界の重厚さというかに驚かされています。

 

 

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Filmarksにも同じ文を投稿しています。他には投稿していません。
↓自分のアカウントです↓

filmarks.com

思うところが多すぎて文章が上げられずにいたので

この二年以上ほどのあいだ、余計なことを書くのもためらわれ過ぎてしまって公開で文章をあげることすらできずにいました。このようなどなたが読むでも
推敲しているとまた覚書すら上げられないので、文章としてもおかしなところが大分あるかもしれませんが勢いだけで上げておきます。
以下。

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期間限定ドラマ内企画グループの8LOOMを個人的にも大変惜しんでおりまして。

www.tbs.co.jp

 

期間限定で解散したし最後のステージのCDTVとか終わったあとにもクレーンゲームなどの商品が出ている様子で、えっそういうものなのだろうかと。


実際におこなったコンサートも倍率なかなかえぐかったようですし、もしかして継続の意志がないではないのかなどという薄い淡い期待を持つというか。


あれだけ曲を作りこんで振り付けも1クールのドラマのためだけのユニットとしてはやたら完成度高かったし、そもそも最初からそういう計画だったのかなどという邪推すら湧いてきます。


でもそれなら正直もう少しドラマの完成度上げただろうし(ここには色々思うところも素人なりに言いたいこともあります)…たまたまでしょうか…。


いやでも存在が大変惜しまれるから展開はあってもいいというかあってほしいんだけど、こうこれも邪推というか語弊があり過ぎなのかもしれないですが、続けると本当に失礼ながら悪いことが出てくるかもしれないので惜しまれるくらいのがいいのか…生の人間のかたを使っている(語弊がここにもあったら恐縮です)以上というか…
繰り返すようですが大変失礼ながら続けないで惜しまれているほうがいいのか…アイドル(申し訳ないですがここで言うアイドルは日本においては秋元グループを除かせてください。実際に活動しているメンバーや支持しているファンの方々がどうこうでなく、運営側の大人が昔からずっと生理的にもアイドルという存在を好む者としても全然とにかく無理です)が好きなので、割とそこそこ長いこと何となく色々観測というかしてきていて、だからこそついそういう風にも思ってしまうというか。
メンバーも俳優だけのかただけでなく、大手事務所発のグループ所属だったり既に活動やキャリアを積んできているかたもいらっしゃったりするようですし。
そういった方々が短い期間の活動のために一年間丸々かけて、もちろん努力なさったりで築き上げてきたからこそ、短く儚く輝いた姿を見せてもらったと思っておいた方がいいのか、どうなのかなどと。
もう少し8LOOMの曲は本当に聴きたいのですが…もうほんとうに惜しんでいるのですが。

https://www.tbs.co.jp/kiminohananinaru_tbs/8loom/
5曲しかないですが、そもそも3か月の放映期間のドラマに5曲も、こんなにしっかりしてるうえにバラエティ持たせた性質の違う楽曲を周到に用意していたのが驚きましたし、ドラマのなかで出してくる順番が意味があって良かったし、曲もいいし振り付けも意味があっていいし。
公式が出してるレッスン動画などもすべては見られていませんが少しずつ見ていると、振付担当の先生のお話などがまた良く。
一糸乱れず揃ってるダンスもかっこいいけど、それぞれの個性を出した動きで協力して作り上げる感じにしてほしかったので、レッスンでもそれを心掛けたとかいったようなお話だったり(実際お話していたのとは少し違うニュアンスだったり内容に齟齬があったりするかもしれません)。

なんでドラマがああだったんだろうここまでグループは一年かけて作りこんでおいて

youtu.be8LOOM 「Forever or Never」 CDTV ライブ!ライブ! Performance Ver.【TBS】 - YouTube


これまた失礼なことを言うならば最初はこの曲も衣装もどうだろうと思いましたが、spotfyなどでも何度か映像なしに聴いてるうちに(買えよというはなしで恐縮ですが。どの曲もinstrumentalも聴けて勿論ボーカルもすごく良いですが、このinstrumentalのほうもまたとても良くてやっぱり曲をきちんと作りこんでるなあと思ったり)5曲のなかでは一番好きになってきました。5曲どれもよくできている楽曲で振り付け共に好きですし、ドラマのなかで出てくる順などもまた好かったですが。
しかしこのときCDTVで生歌なんだろうかというYouTubeのコメントにそういやどうなのだろうと。割と歌ってそうにも聴こえるのですがそれなら凄いですよね。
メンバーのうちの2人くらいはダンスも歌も初心者から始めたというお話ですが、この声のバランスがとても素敵に作られていて、やっぱりもう少し続けても欲しいかなあとも。

最強のふたり

 

テレビで放映されていたのを何気なくつけていたら
引き込まれるくらいには面白かったのですが、
最後が何だかずいぶんと駆け足でさらーっと終わって、
それぞれ新しい家庭も持てて富豪も文通相手の若い女性と結婚して
こどもまでできてハッピーエンドですというのを
ナレーションだけで知らされて終わり、だったので、
安易に思えてしまいました。

実話に基づくだけにそれが実際だと言われれば
そうですかという他ないですが。

立場も大きく異なる二人が心を寄せ合っていく過程や台詞は軽快で面白いです。
最後のほうのあたりまでは楽しめました。

実話に基づく作品はいつも、
面白く観ていても最後で意気消沈させられることが多いです。

最後にご本人たちが出てくるまで実話に基づく話と知らなかったので、
そこから映画を振り返ると、ことさら穿ったことを言う気はないですが、
やはりご存命の実際の方にとって都合も悪く見えてしまうような
描写や展開はできないからかな、とまた感じさせられました。

最後のあっさりしたナレーションだけの終わり方もですが、
たしかに二人ともそれぞれの事情ある立場として考えると
ちょっと行動も円満すぎるというか、
あまり悪い部分は描かれないようにされていたなというか。
台詞に多少下世話なものは多かったとしても。

よほど昔で歴史になっているくらいでないかぎり、
今後はなるべく「実話に基づく」を冠している作品は避けようと思いました。
語弊があるかもしれませんが、
ご存命のかたの実話に基づく作品は自分は観なくてもいいのかな、と。
ご存命のかたに失礼があってはいけないのは当然のことなので、
だからこそというか。
実話であることは映画を観るにあたって
全く自分にとっては全く重要でないですし、
映画として完成度が高いものを観たい気持ちが強いです。

 

 

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いつも、映画のことや音楽のことや漫画も本も
自分の人生のぐっちゃぐちゃな様子だとかを
何の整理もできないまま綴っていますが
頭の中で考えているだけでなく記録をしておきたい気持ちで
書いています。
いつか頭の中ももう少しは整理できたらいいなと思いながら。

※映画感想はレビューサイトなどにも同じ内容を投稿していることがあります。

Google検索がひどい

 

 生まれてこの方というか、厳密に言えば自分では意識しようがないことにせよ生まれる前から続いているような数々のことのせいで、自分にはどうしようもなかったようなことのせいで、自分の感情が苦しめられているのは分かるものの、どこから書いていいのか当然分からなくて、今までも書こうとしては形にならなかったので、思いつくことから書きとめていきたいです。

 苦しいままなのが理不尽でしかないとは思うようになっているので。

 

 そんなことですが、ずっと頭の中を占め続けているたくさんのことを同じような体験をしている人はいないのか、とインターネットを検索します。

 よくします。当然のようですが、よくします。

 そしておそらく他のかたから見ればそんなの当然と言えば当然でしょうが、何も出てきません。それでもどこに理解を求め話しても絶対にそれはなくて、だからこそ検索せずにはいられない日々を続けてきました。他人から見ればただの徒労であろうとも。

 

 でもここのところで急激にGoogleの検索結果があまりにひどいことになっているのに、今更なのかもしれませんが改めて気づかされました。

 

 何が酷いかというと、自分の頭の中を占めている許せない物事のうちのひとつに過ぎないことを(とはいえ、ひとつひとつがあまりに巨大で押しつぶされそうになっているのでひとつだからといって、少なくとも自分にとってはけして小さいものではないですが)とりあえずひとつ例にとってみますが、「出産 惨め 病院の扱い 憎い」と検索すると、Google検索では、「惨め 憎い」に取り消し線が引かれて、宣伝に長けた病院の、出産への憧れ醸成などというタイトルの記事を結果に出して来ます。

 

 苦しみの感情に慣れることはなくいつまでも新鮮なままで抉られたような状態のまま心の中にある感覚でずっといますが、苦しむ生活にはそれなりに慣れないとここまで生きて来られませんでした。

 ですから、インターネットの検索結果に絶望させられることにも慣らされてもいるのですが、それでも「惨め 憎い」と検索している者に対して、憧れ醸成という病院の宣伝記事だとかそのほかにも病院での分娩のご案内などを出してくることには絶望と共に呆れと、そしてもしまだこの苦しみの感情に生活として慣れてはいない状態でこんな検索結果を見せられたらもっと衝動的な感情にされていただろうとも思わされました。

 数年前まではそれでも個人のブログなどを検索結果に出して来てはいた気がします。つまり数年どころではないくらいにはずっと検索をし続けているということですが。そしてそのどれもが出産や病院での体験自体は何も大きい問題にはしておられない内容で、今まで自分のような気持ちを抱えている文章には一切出会えたことがありません。(だからこそこれを今まで書けなかったし、それでもあまりにないので今書いている理由でもあります)

 それでも数年まえまでは、この語句を検索している者に対して、病院の宣伝や、これからのことを希望に満ち案内する病院のサイトしか出さないような状況ではなかったと記憶します。

 

 ついでに「惨めな出産」で検索すると
2020年令和二年現在のGoogle検索はページの下の方に
「惨めな出産に関連する検索キーワード
赤ちゃん産まれるの楽しみ
赤ちゃん 楽しみすぎる
赤ちゃん に 会える の が 楽しみ
子供が生まれた瞬間 父親
新生児 の 時に しか できない こと
出産 楽しみじゃない
子供が生まれた時の気持ち 父親
赤ちゃん 楽しみ 夫
出産 喜び」
と出して来ます。

 

「惨めな出産」で検索している者に対してです。辛うじて関連しているキーワードが「楽しみじゃない」くらいしか見つけられませんし、それも結果ではなくて事前の話しか予感させません。結果で傷ついて検索しているのであって、それはそれで残酷ではありますが機械検索でしかないので諦めるというか一旦置いたとしても、です。
他のキーワードの出し方が最早壮絶なほどです。言葉を失います。

 それでも上に書いた検索で、「惨め」と「憎い」に打ち消し線を付けて病院の宣伝を上位に出してくるよりはましなのかもしれません。

 いや、やはりどちらもあまりに酷いです。

 

 上に書いたようなことも実際体験したことですが、それらに全く限らず生まれる場所を選べなかっただけのことで受け続けて来た仕打ちだとかそれが今まで自分にどう続いてきたかも、すべて何も無かったことにされたくないです。

 そして整理もできたらいいですし書くことが自分にとって何かになったらいい、と思って書いています。

 

 とりあえず、Google検索がひどすぎる。近年とみに酷くなってきていることを改めて確認しました。という文章にしておきます。

 

カクヨムにも同じ文章を掲載している場合があります※

カクヨムでのページ

 

はてなブログはそれでいいのか

タイトルがやや大げさですが、
絶望と諦めと呆れが混じっているだけです。

 

はてなブログ
1年前のブログ「虐待親が死んだという話をメモ」などを振り返りませんか?
という過去の自分の記事を振り返ることを提案するメールを
自動送信してきてくださったからです。

↓この記事です
pakirapakira.hatenablog.jp

 


自動送信なので仕方のないことだとは理解しながらも
あんまりだよなとは思います。

 

タイトルは考えた方がいいのかもしれませんが
それはこちらで何とかすべきことなのか。

とりあえず、
はてなから送信されるメールの設定を
変更したことがなかったので
見直しておきました。

ふりかえりメールの送信が
デフォルトでチェックしてあるのは
どうかと思いますが、
でもそれがふつうかとも
諦念と絶望を入り混じらせています。
振り返らせていいことと悪いことがあるのでは
ないでしょうか。

今だからまさに考えていたので

何も私とて
文春の記事を取り上げたくはないのですが


最近しばしば思ったり思い返したりしていることがあって、
そこにこの記事ということは
世間もそうなのかなということを
書き留めておきたかったので。

 

bunshun.jp



https://bunshun.jp/articles/-/15170?page=3

―― 私が記憶に残ってるのは、『TVタックル』で「女の敵は女」というテーマで女同士を討論させようとした回です。はじまってすぐに先生が「こういうのはやりたくない」と言って、その構図を拒否したのを覚えています。

インタビュアーの人の言う回は
私にもとてもよく記憶に残っていました。ずっとです。
そんな場を無礼にも与えられた田嶋さんは、
「女性が自分の持っているものを
自分の意志として使うことを選択しているのに、
それを否定する気持ちなどまったくない」
というようなことを、
力を入れるでも大げさにでもなく
大変自然におっしゃっていたのを強く覚えています。

対決させられるために連れてこられた女性たちは、
あまりに番組スタッフにたきつけられ
戦闘態勢になっていたであろう最初の様子とは違い
とても静かになっていました。

そのあとで田嶋さんは
番組スタッフに対して明確に、
こういうテーマではできないし
こういったことは許せない
といったことをおっしゃり、
番組が続かなくなっていた印象でした。
ただそれを放送したところだけは番組のなけなしの誠意なのか
とも考えたりもしていました。
それとも単に他に放送するストックがないからだったのか
測りかねる部分がありますが。

 

https://bunshun.jp/articles/-/15170?page=5

自分の考えが間違ってなかったと思うのは、このインタビューもそうだけど、最近になって30代、40代の人に取り上げてもらうことが増えてきたことです。きっと、あのとき怒ってた変なおばさんの言うことが、正しかったのかもと思ってくれてるんでしょう。たくさんケンカして、批判されて、足蹴にされてきたけど、そうやって種をまくことはできたのかなって。

まんまとその通りでとてもとても何ていうかとても
あーもう全然まだまだだなって気持ちにさせられてしまっています。
すべてに賛同するとかしないとかでなく。

何か田嶋先生(さんと先生が混じっているのは一応自覚してます。
どちらをどう使うかを判断しかねてはいますが)
はきっと普通のことを穏やかに言っていただけなのだろうと
今は思います。
誰も自分の話を聞く耳を持たないうえに
本質と関係ない所で揚げ足をとるようなことばかり言われるので
その場では声を荒げたようになる場面もあって
それを切り取って編集演出として仕立て上げられていて
それでこそテレビで、
田嶋先生はもちろんそれも承知のうえで
それでも誰も言う場所がないので
届いてほしい人に届けたくて
リスクだけが一見大きく見えるので誰もが避ける場所に
分け入っていらしていたのかと今は思うわけです。
それにどうして何十年もかかるというのか。
人間の生涯はそれほど長くもないのに。
でも世間もひとえにスマホによる情報化とSNS
一般の声が隠せなくなったし広がりやすくなったせいで
ここ数年で一気に変わったところがある気は
体感としてあります。

上にも書いたように
文春の記事でインタビュアーのひともおっしゃっていた
テレビでの様子は
私の心にもずっとずっと残っていて
あの時から田嶋さんの印象は自分のなかで一変した
と思いますし、
何度もあれからこれまでも
折に触れて思い返していました。

自分の勉強も知識も不足している部分は多いので
理解も追いついておらず
田嶋さんにしろ上野千鶴子さんにしろ
同意や共感を高らかに申し上げようという段階には
まだないと申し上げるほかございません。

それでもフェミニズムの印象がどんどん
自分の中でも形を変えて行っていて、
それが何となく以前よりは明瞭になってきたような
気持ちもあります。
そして上記の方々のおっしゃりたかった要旨は
世間でずっと見出しやタイトルにされていた
不要なほどの偏狭さを強調するものとは
違う部分も多かったのかなと。

今年の上野さんの東大入学式でのおはなしの内容などは
自分にはとても常識的なことをおっしゃっているように思えて
ああこういうことを言いたいだけであったのか、
まるで男性の全てを敵視するかのようなことを主張しているように
それこそ印象操作されていただけだったのかと
改めて思わされたのはありました。
しかし
ネットというかニュースサイトのような場所では
その内容に対して
どうして入学式に水をさすようなことを言うのか
という記事なども多いように見えたので、
驚かされました。

自分の感想では過激でもなく当たり前のことを
これから学問をしようという若人への期待を込めて
入学式だからこそ、
語られた内容と受け取れました。
なので反論だとか引くという反応があること自体に
驚かされました。

そんなことを今年は折に触れて
思い返したり考えるともなく考える機会が
増えていた気がします。

そして上の文春の田嶋さんの記事でも
そういう人が多いのかもしれないと窺われた気持ちに
なりました。

フェミニズムが対立を煽る思想であるかのようにされてきたのは
誰かが意図してそう見えるようにしていた構図だった部分は
少なからずあったのかもしれない、とだけは
自分なりの俯瞰をして現在は思ったりもしています。

フェミニズムという言葉がまたなんというか、
片方だけのことを語っているように強く印象付けてしまうかもしれないので、
その言葉ができた当時なら仕方のないもしくは必要な名づけ方だったでしょうが
現在であればもしかしたら他の意味や言葉も包括したほうがいい部分も
あるのかもしれない気もしてきています。

もう少し書きたいことはあるけれどまとまらないので
それでまた書く時も上げる時も逸するので
とりあえずこれだけ書き留めて上げておきます。

○○ってそんなもんよ~、は誰かにだけ都合のいい言葉

相談事されることもないんですがね。
友だちも雑談をする知り合いも今はいないみたいなものなので。

それでももし何か相談をされた時は
たとえ聞いていて
何か違うなーとか思えるようなことでも
○○ってそんなもんだよー
(○○に入るのは、
人生でも世間でも男でも人間でもいいですが)
とだけは言わないようにしたいなと
今日思いました。

自分が相談員とかそういう立場の人に
言われたことを思い出しながら。

その辺のというか
ほんとにちょっとした付き合いの相手に
うっかり何か相談じゃないけど愚痴っぽいことでも
言ってしまった時に
そんなもんだよーと言われるならば、
落胆もするかもしれないけど、
それを言ってしまった自分の迂闊さを
呪いたくなるほうが強くなりそうです。

だけれども相談員というような立場の人が、
自分が切実に訴えていることに対して
愚痴程度にしか受け止めていないことを
実感させられるのは
あまりに絶望が大きかったです。
愚痴でもこぼしに来て
すっきりしたら丸く収まるくらいに
考えられていることが。

話をすること自体は
自分の内の物事を整理する上でも
発散としても、有効であることは確かでしょう。

だけどその時の自分は
そのために来ているんじゃなくて
何かに繋がる糸口でも見つけたくて
必死に訴えに来ているつもりだったのに、
相談員だとかのお名前をお持ちなのに相手のほうでは
そんな風には一切思っていなくて、
ただ愚痴でも聞いていればいい
ほんとに分かりやすく死にそうなら報告はしないと、
くらいの感覚でしかないことを
目の前で突きつけられて
自分はこんなに追い詰められていて
それを訴えに来ているのにまた
誰にも決して通じない伝わらない
というのを見せられて
それを伝える手段を持たない自分が悪いのかとか
でもこれほど必死に伝えても伝わらないのに
今度こそ誰かに少しは伝わるのではないかと
心のどこかで願わずにいられなかった
自分の愚かさを、
結局は呪わないといけなくなったことが
思い出しても苦しいし
今ではもうどうでもいいことになっているわけでもないです。
ただ、そういうことで
相手にはそれだけのことでしかなかった
という事実を理解しているだけです。

だから、
そんなもんよ~は言わないようにしたいです。
もしそういう場面があって
自分が言うべき言葉が見つからなくても
そんなもんと言って
相手のひとつひとつの事情を知り得ないことだとしても
だからこそ知りもしないのに言ってはいけない
思います。

私の場合は
相談員の人に自分の気持ちを勝手にそのくらい
大したことないようにあまりに言われたと
毎回感じながら苦しんで悔しい感情がいっぱいで
帰ってこなければいけなかったので、
それを相談員の人に言ったこともありました。
だけど、あなただって私のことは分からないのだから
そんなの仕方ないでしょうというような言い方を
されました。
そういう意図が無かったとしてもそういう言葉でした。
知り合い程度のひとを愚痴に付き合わせてしまった状況でなく、
専門性は持ったかたに
少なくとも愚痴ではない相談を訴えているつもりだったので、
まさかそんな言い方をされると想像していなくて
思い出しただけでも何を思っていいか分からないです。

全てが受け入れられるだとか
全てが解決されるだとかそんなことは
けして考えていなかったですが、
まさかそんな風に言われると思っていなかった
そのことすら自分が甘かったように思えて
なぜこんなことしたんだろうという気持ちにさせられました。

身内のはずの人はそういう話をすると
ふーんまあ俺の責任じゃないし
そんなん話したって分からない奴は分からないんだから
むだなんだからやらなきゃいいのに、
という態度でそれで
いくら訴えても自分の関係ないこととしか聞かないし、
お前の話は誰にも通じないと言ってきました。
いつでもそうでした。

だから
そんなもんだよ、は、
何も言える器のない自分への
あらゆる角度から見て投げているだけの
卑怯な言葉だと今は思うので、
せめて自分が他者に対して有用なことなど言えなくても
そんなもんとだけは言わないようにしたい
と今は思います。

・その状況に対してその人自身がどうしたいのか、
・むしろすぐにどうもしたくないけど
その状況を理解してほしいだけなのか、
そこを聞くなり考えるなりをして
・次の段階が必要ならばそれに対して
何か自分が言えることはあるのか、
という考え方が他人が出来ることなのだろうか
と、いうような風に現在は考えたりしますが
それが正しいこととは限りません。
それでももし、
愚痴のつもりか相談かもわからない雰囲気であったとしても
何かその人の持つ状況の話をされたとき
どう言っていいかわからなくても
そんなもんよーと言って自分を納得させるのは
やらないように自分に確認していきたいと
過去のことを考えて今日は思いました。

まとまりませんがそういう覚え書き。



I shall be released

 

 

タイトルの永遠の名曲なんですけど
個人的には生まれる前の曲なのですが、
ラジオ(多分)で聴いて
この世にこういう曲があるのかと
知った瞬間からスタンダードという曲のひとつでもあります。
自分としてもそういう曲がいくつかありますが、
そしてここでもそれをいくつか書いているので
何か適当書いているようですが、
どれもマスターピースで世界中の人の心に残り続ける
名曲なことだけは確かです。

英語の構文を覚えるのにもお役立ちなうえに名曲。

自分が聴いたのはおそらく中学生くらいだったのでしょうが
何度もそれから思い返して今も今日も
泣きながらそのフレーズを思い返したので、
世界中でその言葉をきっと人が思い返して
いるのだろうと確信します。
そして名曲とはそういうものなのだとも
思ったことを書き留めておきます。

冷静に適当なことを書いているようですが
どうも最近ずっと呼吸も浅くて物理的に息がしづらいので
自分としては相当なのです。
呼吸器科なりの受診なども検討はすべきかとも思いますが
そういうものだけでもない気もしています。

だからこのフレーズを繰り返していると思います。

名曲とは人をどれほど助けるものかと感じます。

これは誇張ではないです。
自分の場合は
生まれる前からずっと続いていたこととして
まだこどもの時から外からどう見えていたにせよ
戸籍上の親や保護者にあたる存在はあったにせよ、
逆に言えばだからこそ
誰にも助けてもらえずに生きるしかなかったので、
絵や美術や漫画や本や映画や
時代も洋邦も問わないポピュラー音楽などの
あらゆる文化に頼るしかなかったです。

この名曲も
ボブ・ディラン作。やはりThe Bandのバージョンで頭にこだまします)
そういうもののひとつなのだなと今日も感じました。
きっと世界中でそうして人を生かして来た曲に違いないです。

クラシック音楽は好きなものも本当はありますが、
自分が羨んでもその羨む気持ちすら誰にも顧みてもらえなかった
ピアノという習い事と結びついてしまうので
あまり考えられません。
本当ならピアノという芸術や
クラシック音楽
もっと幅広く豊かなものでもあるに違いないですが
日本ではとても心が貧しい他人に誇るためだけの習い事としてだけ
ずっと普及してきたと思います。
バレエと共に。
そしてピアノもバレエも私には同じように
自分の惨めさをこどもの頃から思わされるものでした。
ピアノやバレエ自体はとても豊かなもので好きなところも
本当はたくさんあります。
だけどこの顧みてももらえなかった気持ちが
どれほどのものだったか
そしてどれだけ顧みてももらえなかったか
今だからこそ思い知らされているので、
ピアノやバレエを目にするのも苦しい部分があります。
最近では変わってきて大人の習い事なども存在するかもしれませんが、
こどもの頃の自分にとっては
私だけが出来ないうえにその羨ましい気持ちすら
大したものじゃない、と扱われたことしかないものです。

とにかく
これを胸で繰り返しても問題は解決していないし
私はきっと明日も同じことを考えて
憎悪と怒りでいっぱいになるでしょうが、
それでもこのフレーズが自然と浮かんできたことも
確かなのでそして繰り返す価値のあるフレーズなので
そのことを書き残しておきたいです。


 

Music From Big Pink (Remastered)

Music From Big Pink (Remastered)

  • 発売日: 2018/06/22
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

 

もう全然そっちじゃないです

アル・クーパーの「Jolie」は、
まぎれもない名曲で
世界の中で信ずるに足る輝きか何かのひとつだと思いますが、
あの歌い方とオルガンかと思われる鍵盤の音が
語るものが大切なのであって。

なのに。
思い立って、細かい項目入れるのがだるかったのと
情報がどうなっているのかという興味もあって
「ジョリー」で検索すると何が出てくるのかと試してみると、
日本のグループが平成前半くらいにカバーしたものが
出てくるのは個人の精神衛生上とてもありがたくないというか
正直本当にやめておいてほしいという気持ちにさせられました。

特に他に書くところもないのでここに書き留めておきます。

日本人として別にいいじゃないかと思うべきなのかもですが
リアルタイムではなかったものの
カバーされるよりも前にその曲に接していて
こんなにいい曲が世の中にあったのかという
確かな価値観にすらなっていたのです。
原題ではNaked Songs、邦題は赤心の歌というにふさわしい
訴求力のかたまりのような歌い方が
この世の中に燦然たる輝きを放っているのであって、
だからこそリアルタイムでない自分も
スターピースというかで思い返さずにいられない、
そういう曲なので、
もうそのカバーではどうにもならない。
カバーしたという事実が当時大切だったのかもしれませんが。
とにかく検索に出されるのが神経にピリッと来ることも事実というか。
そんな話です。

 

毎日どうにもならないし
許せない思いでいっぱいでしかないですが
早く生活を変えないとと思っていることも
書き留めておきます。

 

 

赤心の歌

赤心の歌